2/25に、竜爪山へ登りました。

まさひとです。こんにちは。

 

 

 

 

最近の私は何かと用事が多く、仕事も忙しめです。3/17と18ですが、勤務先の社員総会があり、私も神奈川県内へ行ってきました。また3/31は勤務先の棚卸しがあり、一日ずっと倉庫の中で在庫を数えていました。

 

そんな間でも、3/21と4/15と山登りを計画していましたが。どちらも雨で中止になりました。この時期は周期的に雨が降るものですが、山登りが続けて2回も中止になると、さすがにがっかりします。

 

住んでいるところの避難訓練とか、一斉清掃とか、用事はどんどん増えていきますが。山登りの先輩たちはどうやって時間と体力とお金をやり繰りしているのでしょう。

 

 

 

 

さて。2/25ですが私は先輩ふたりと一緒に、静岡市内にある竜爪山へ登りました。2/25の夕方から私は用がありましたが、早い時間に終わるところだったら山登りに行けそうでした。ふたりの先輩と相談したところ、では、竜爪山へ登ろうと話がまとまりました。

 

一般的に竜爪山へ登ると言えば、旧道をそのまま往復するのだと思いますが。今回は旧道から頂上まで登って、頂上からは則沢ルートで下って、途中の724m地点(道白山と呼ぶひともいる)を経て、旧道の登山口に戻ろうと考えました。

 

逆回りも考えましたが。ひょっとしたら旧道には、山の北側にあるから雪が残っているかもしれないので、こっちから登るほうが安全側だろうと。また道白山のルートは山の南側にあるために雪は残っていないだろうから、こっちへ下りようと決まりました。

 

 

 

 

当日のGPS記録はこちらです。 

竜爪山(旧道登山口から周回) - 2018年02月25日 [登山・山行記録] - ヤマレコ

 

一緒に登った先輩は、もうずっと前にブログをアップしています。

静岡の山と渓 竜爪山

 

 

 

 

では、写真を見て行きましょう。

 

 

 

 

旧道の鳥居と登山口です。ここから往復するルートは一般向けに整備されています。竜爪山へ登る人がどのくらいいるのか分かりませんが、おそらく9割はここの往復だろうと思います。

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昔は山登りなんて全く興味が無かったので、嫌々で登った竜爪山でしたが。今はあちこち調べて相談して、色々なルートから竜爪山へ登って下っています。今は日帰りだけですが、そのうちどこかで一泊してこのあたりを登って下ってくるかも。

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何かが茂みの中で動いていると思ったら、カモシカがいました。

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穂積神社へ到着です。かなり昔ですが、お正月に私はここで甘酒とお茶をいただいたことがあります。そういえばここで甘酒をいただくために、山登りを企画したこともあります。

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神社から登っていくとルートは、建築現場みたいな階段が続くのですが。この辺りからルートが凍っています。踏み固められた雪が、昼に溶けてから夜に凍っています。ううむ、参ったなあ。

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カチカチでつるつるに凍っています。どうしようか。前後に登っているひとたちは、仕方が無いのでみんなアイゼンを装着していました。

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私たち3人は、誰もアイゼンを持ってきていなくて。どうにか確保できる支点を見付けては登りましたが。決して真似しないでください。

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登りはまだ何とかなるけれど、ここを下るのはアイゼンが無いと、かなり厳しいと思います。

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ようやく主稜線まで到着しました。下りで予定している則沢のルートは、南側の斜面にあるし、通るひとも少ないから、さすがにこんな状態では無いだろう。たぶん。

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いつもなら主稜線へ登り詰めたところから、富士山が綺麗に見えるのですが。今回は霞んでいて見えないですね。

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薬師岳を通過します。ここからいったん下って、また文殊岳に登り返します。薬師岳文殊岳をふたつ併せて竜爪山です。薬師岳へ直接に登るルートもあるのだとか。

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やっと、ようやく、文殊岳の頂上へ着きました。頂上では森谷沢のルートなど、幾つか封鎖されていました。このところ竜爪山の周りでは遭難が続いていますからね、まあ、仕方ないのかも。

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霞んでいますが三保の半島とか、うっすらと見えました。いつも文殊岳の頂上は多くのひとで混雑していますが、今回は天気が冴えないためかルートがあれだからか、わりと静かでした。たっぷり休憩したら、では、ぼちぼち、則沢ルートへ下りましょう。

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すごく急な傾斜をぐんぐんと下ります。あっという間に鉄塔まで到着しました。ここまでで通過してきた薬師岳文殊岳が見えます。思っていたよりもこちらのルートは、ずいぶんはっきりしていました。

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こちらも温かくて景色も良いし、休憩するには良いところです。

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724mピークを通過します。ここを道白山と呼ぶひともいますが、道白堂からはちょっと離れている気もします。

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特に眺望もない植林のなかを下ります。段々と沢の音が大きくなって、停めてある車が見えてくると、ゴールはすぐ近くです。

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以下は感想です。今回は箇条書きにします。

 

 

 

 

①アイゼンを念のために持っていかなかったことは、大失敗でした。登りは何とかなるとはいえ、アイゼンを装着するほうがずっと安全側でした。決して真似しないでください。

 

無理に登ってあとで下りられなくなるよりも、撤退する(または別のルートへ進む)ほうが安全側です。

 

 

文殊岳の頂上では、幾つかのバリエーションルートが封鎖されていまして。バリエーションルートも楽しいけれど、決して一般向きではないから。これだけ遭難が続いてしまうと、幾つかの封鎖はやむをえないのかなあ。

 

森谷沢のルートも、ずいぶん前に下りましたが。また行ってみたいですね。

 

 

③旧道の登山口へ車を置いて、こうやって周回するひとは近年増えているみたいで。道白山ルートは思っていたよりもずっと、踏みあとがしっかりしていました。みんな車だから、登り口と違うところへ下りてしまうと、車の回収が大変なのでしょう。

 

 

④あと。竜爪山は薬師岳文殊岳という、ふたつのピークを併せた呼び名なのですが。薬師は「如来」で、文殊は「菩薩」であります。

 

どうしてふたつ並んでいるピークなのに、ひとつには如来の、もうひとつには菩薩の、それぞれ名前が付けられたのだろうと思います。如来だったら如来どうしの、菩薩だったら菩薩どうしの、名前が選ばれそうなものですが。

 

2/12に、湯河原町の幕山へ登りました。

まさひとです。こんにちは。

 

 

 

 

最近、私の周りでは何かとトラブルが続いています。何故だろう?鍵のトラブルがあり、シャッターのトラブルがありました。3/8にも、どかんと物を壊してしまって。体調があんまり冴えない点も含めて、うまくいかないことが続きます。

 

シャッターのトラブルは、原因としては駆動させる部分の近くに鳥が巣をつくっていまして。その、元々は鳥の巣だったものがぐずぐずになって、シャッターの駆動をさせる部分に巻きついて駄目にさせたようだ、と聞きましたが。

 

まあ、仕方ないです。こういう時期もある。やれやれ。

 

 

 

 

さて。2/12に私は所属会の先輩たち6人と、湯河原町にある幕山(まくやま 626m)から南郷山(なんごうさん 610m)を登りました。ひどく寒くて、風が強かった。

 

梅の宴を開催中に行くのだから入園料がかかりますし、混雑もするでしょう。幕山公園などの駐車場がどの程度まで使えるのかも分かりません。けれど、わざわざ湯河原町の幕山まで行くのなら、やっぱり一番印象が強い時期に行く方が良いんじゃないか、と相談がまとまりました。

 

梅の宴を開催中は、JR湯河原駅から会場までのシャトルバスが出ます。このシャトルバスの第1便へ間に合うように、8時半を目安としてみんな湯河原駅へ集合です。静岡県内のあちこちから、それぞれに電車で移動しています。

 

 

 

 

当日のGPS記録はこちらです。

幕山〜南郷山〜五郎神社(湯河原町) - 2018年02月12日 [登山・山行記録] - ヤマレコ

 

一緒に登った先輩は、もうずっと前にブログをアップしています。

静岡の山と渓 湯河原 幕山

 

湯河原町のHPもリンクを貼っておきます。

湯河原町 | 湯けむりと笑顔あふれる四季彩のまち湯河原

 

 

 

 

では、写真を見て行きましょう。

 

 

 

 

JR湯河原駅です。土肥実平公の銅像がありました。私たちは8時半よりちょっと前に着きましたが、もうシャトルバスの順番を待って行列が出来ています。

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シャトルバスの第1便へ私たちは、幸運にも全員乗ることが出来ました。幕山公園へ入ると、目の前に幕山がそびえています。

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公園の入り口には「1分咲き」とありましたが、もう少し咲いていたように感じました。まだまだ満開には程遠いけれど、これはこれで素敵ではないかな。

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赤い花は遠くからでも、けっこう分かります。

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白い花って、遠くからはなかなか分からないですね。

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ロッククライミングをしているひとも、あちこちにいました。

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幕山を登っていくと相模湾が見えてきます。手前に小さく初島が、その奥には伊豆大島が見えます。

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広葉樹の森が綺麗でした。ここ幕山は梅で有名なのですが、春の新緑や秋の紅葉の時期に登っても、きっと綺麗で素敵でしょう。

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幕山の頂上へ着きました。冷たい風が強くて、あんまり落ち着いて休憩する環境ではなかったです。体感温度は0度くらい。

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幕山の頂上から下り始めると、雪がばっちり残っていました。ここで転んだりしたくないです。

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自艦水です。源頼朝がここの水で自害しようとした、とか。

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林道の工事が行われていて、山の様子が変わっていました。このあたりでどこにルートがあるのか分からなくなって、私と4人は来た道を戻っています。本来の登山ルートを見付けた時はホッとしました。

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南郷山の頂上に着きました。海側の眺望が素敵です。幕山は登ってくるひとが多いのですが、こちらの南郷山は静かです。

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南郷山の頂上から、山の側を見ています。十国峠とか岩戸山などが見えました。

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頂上から少し下ると、真鶴半島がばっちり見えました。標高は特に高くないけれど、そのわりに眺めが良いです。

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あとはルートに従って、ゴルフ場の脇を通って、ずっとずっと下っていきます。下って行くと、舗装された農作業の道になりました。みかんの木を見るとどうしても静岡を思います。

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最後に五郎神社へお参りします。神社の前にあるバス停ですが、14時半に出発するというバスがたまたま停まっていたので、急いで乗って湯河原駅まで移動しました。

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湯河原駅に戻ったところで、私たちは解散しています。私はMさんと、熱海駅前温泉へ寄り道しました。古くてディープな温泉が好きな人だったら、熱海駅前温泉はオススメです。

 

 

 

 

以下は感想です。

 

 

 

 

湯河原町そのものも、今回のルートにあった自艦水も、源頼朝に縁があります。という訳で幕山へ登ってから、源頼朝のあれこれを調べたり考えたりしました。

源頼朝 - Wikipedia

 

とはいえ、ここに上手く書くほどの知見が私にある訳じゃないので。とりあえず幾つかの思いついたことを箇条書きにしておきます。また、続くかもしれないし、続かないかもしれないし、どうでしょうか。

 

 

 

 

①本来なら源頼朝は、平治の乱で捕えられて処刑されるはずだったけれど。池禅尼(いけのぜんに)が助命嘆願をしたこともあり、処刑されず流罪と決まっています。

 

池禅尼は、平清盛の父の忠盛の後妻ですが。当時まだ14歳だった源頼朝が、若くして死んだ自分の息子と容貌が似ていると知って、平清盛に強く繰り返し助命嘆願をしたとあります。

 

さて。この展開を私は偶然だとは思えないのです。池禅尼は、いったいどういう訳で、どこの誰からどういう話を聞いて、源頼朝が若くして死んだ自分の息子と容貌が似ていると知って、助命嘆願したのでしょうか。禅尼が自分自身で調べて考えて行動したとは、ちょっと考えづらいから。逆に言うなら。池禅尼にこういう情報を伝えたのは、いったいどこの誰で、どういう意図によるのでしょう。

 

 

 

 

②そんなこんなで源頼朝は、罪一等を減ぜられ流罪になった訳ですが。当時の平家の政権で中心にいた人たちが、流罪の場所として決まった伊豆の国に属する蛭ヶ小島について、どう認識していたのかなと思います。

 

本来なら流罪とは、佐渡島とか隠岐島とか、本土とはそれなりに離れた島へ流されるものであって。直接に処刑はしないけれど、政治的には死んだのと同じだから処罰の意味や効果があるのだ、と私は理解しています。

 

だったら。「伊豆の国に属する蛭ヶ小島へ流罪になりました」と報告された平家の政権で中心にいた人たちは、何となく伊豆大島みたいなところをイメージしたはずだと。どういう島なのか正確に知っていてここに決めたとは、少なくとも私にはとても思えないです。誰が、どういう意図で、源頼朝の行き先を蛭ヶ小島に決めたのだろうか、と思います。

 

 

 

 

石橋山の戦いに敗れたあと源頼朝湯河原町の、しとどの窟に隠れていた時ですが。隠れていることを見抜きながらも梶原景時は、源頼朝を見逃してやったとあります。

 

梶原景時が見逃したという話は、源平盛衰記に載っていますが。石橋山の戦いの後で、源頼朝を捕えるために動員された武士たちのなかに、まだ源頼朝が自害せずどこかで生きていたら何とか助けてやりたいものだ、とひそかに考えていたのは、梶原景時に限らず実はわりといたのかなと思います。

 

石橋山の戦いに敗れてから源頼朝は、よくもまあ自害もしなかったし、脱出できたものだと思いますが。梶原景時に限らず、源頼朝を捕える側に動員された武士たちからも、実はたびたび助けられていたのではないか、と思います。

 

 

 

 

他にも、あれこれと思う事はありますが。いったんここで打ち切ってアップします。