まさひとです。こんにちは。
八月も後半へと進みまして、朝晩は少しすごしやすくなってきましたが、昼間は相変わらず暑い毎日です。ヘルメットと長そでが必要な環境で作業が続くと、本当にくらくらします。今年も、まだまだ暑いまま続くのでしょうか?早く勘弁して欲しいなあ。
さて。今年の夏の休みに私は、もともとは北岳(きただけ 3193m)へ一泊二日以上で行くつもりでした。しかし、8/13~14に前線が通過する予報を受けて、直前に北岳は延期して、近くの毛無山(けなしやま 1946m)へ日帰りで登ることになりました。今回は急な変更だったために、所属会の先輩とふたりで行きました。
まあ、前線の通過そのものは仕方ないですし。雨具を着て、一日雨の山の中を登り下りした事もありますから、やって出来ない訳でもありませんが。とはいえ北岳はそれなりに時間と体力と、お金もかかるところなので、なるべく条件の良い時に行きたいものです。今年なら九月でも連休がありますし。
という訳で当日の朝です。山梨県の下部温泉へ来ています。一般的に毛無山は静岡県側から登りますが、もう私たちは静岡県側のルートで登った事がありますので、今回は山梨県の側から登ってみました。それで、私は初めて来たのですが、朝の下部温泉は素敵なところでした。温泉街の手前に建つ大きなホテルよりも、奥の下部川沿いに建っている古くて狭い旅館が、人の営みが色濃く残っていて、今の私には好みでした。
下部温泉から林道を延々と登っていくと、ようやくこの登山口がありました。ここの登山口から毛無山へ往復するルートは、距離も標高差も大きいほうですから、なるべく早くスタートするほうがより安全側です。私たちは8時ぐらいにスタートでした。
まあ、どのルートで登っても杉と檜ばかりが人工的に植林されている山ですから、季節感も花も特にありませんが。 たまに少しでも眺望があるとホッとします。
今回のルートは、金山の遺跡としてよく整備されています。遺跡の説明その①で、中山金山です。
同じく、遺跡の説明その②で、女郎屋敷です。
更に続けて、遺跡の説明その③で、大名屋敷です。
まだまだ、遺跡の説明その④で、七人塚です。
しかし、それなりの人数がこれだけの山の中で、果たして生活が出来ていたのですかね?とりあえずこの写真の、下部川の源流を渡るところだったら、水は確保できそうな感じですが。私は山の城跡も好きで見て回っていますが、どうやって人数分の水を確保したのか?いつも疑問に感じているのです。
源流を渡ってから、いわゆる毛無山の主稜線へ登り詰めていきます。
やっと、ようやく、主稜線へと到着です。11:00でした。まだまだ先は長いのですが、もうへとへとです。先輩は元気ですが、私はとにかく眠くて参りました。ところで、この場所は地蔵峠と呼ばれていて、しかし地蔵峠というのに地蔵さんは見当たらなかったのですが、私が見落としただけでどこかにあるのでしょうか。まあ、現代では色々なマニアというか収集家がいますから、峠の地蔵は持ち去られて売られてしまったのかも知れません。
この写真は主稜線に出てから、300mほど登ったところです。毛無山の頂上は東西に細く長く伸びているのですが、ここが頂上の西の端っこにあたります。国土交通省が出している25000分の1の地図を見ると、毛無山の西の端っこからは、この写真の右の奥へと伸びている枝尾根上にもルートが記載されています。
しかし今回私も見て回りましたが、枝尾根にははっきりとした踏みあとは分かりませんでした。また、この写真にある看板によって、枝尾根のルートは真っ直ぐには進めない様になっていますし、見にくいですが看板には矢印で左側を指していて、こっちへ進めと書いてあります。うむ。
おそらく地図を作った昔には、本当に枝尾根にもルートがあったのでしょう。枝尾根にあるルートが通れるのなら、下部の集落まで短い距離で向かう訳ですし。しかし、崩れたのか何らかの理由で枝尾根のルートは通れなくなっていて、現在は金山の遺跡があるルート、今回私たちの往復したルートだけになっているのではないかな。
毛無山の主稜線に登り詰めてから先は、花も咲いていました。 これはマルバダケブキ(丸葉岳蕗)です。鮮やかで大きい黄色の花が、夏に標高2000mぐらいで群生します。
静岡県の朝霧高原側から登ってくるルートとの三叉点を通過します。
やっと、ようやく、毛無山の頂上へ到着です。13:00でした。へとへとです。毛無山の頂上は東西に細長いと書きましたが、一般的には1946mの三角点があるこの写真のところが頂上とされています。しかし最高点はこの少し先になりますが、1964mのピークです。
残念ながら曇っていて、頂上に出ても何も見えませんでした。そのうえ雨もポツポツと降ってきました。だからせっかく頑張ってここまで登ってきたのですが、直ぐに荷物をまとめて下山にとりかかります。ゆっくりしていられなくて残念でなりません。
まあ、疲れた割には眺望も花も無かったけれども。金山の遺跡は興味深かったし、帰り道で地蔵峠まで下りてきたら、この写真の富士山が見えた訳で、良かった事もありました。
15:30に下山してから、私たちは下部温泉会館で入浴して帰りました。
あとは、今回の感想です。
かつて、 日本の国内ではあちこちに鉱山がありました。ここ静岡県内でも、土肥にある金山などは今でも有名です。
日本の大きな化学の会社の歴史を見てると、鉱山から出る地下資源からスタート、ってのはホントに多いですよ。日立(日立鉱山、銅)、古河(足尾鉱山、銅)、住友(別子鉱山、銅)は筆頭で、鉄からスタートしてるところもありますし、チッソのように九州の石炭と石灰石からはじまってるところも。
— 山猫 だぶ(ああ夏休み) (@fluor_doublet) 2015, 7月 8
日本の鉱山の歴史は暗く、そして、無茶苦茶です。
— 山猫 だぶ(育児中) (@fluor_doublet) 2014, 10月 27
前にも書いたけど、日本の鉱山の施設はものすごく安普請で、保存に絶えない。明治~昭和初期に羽振りが良かった一部の大鉱山を除いて。
— 山猫 だぶ(育児中) (@fluor_doublet) 2014, 5月 20
私はもう少し、鉱山とか鉱石とかについて知りたいです。鉱山という言葉ですと、どうしても鉱石を掘っていたようなイメージがありますが。私としては石油や石炭とか、石灰やガラスさらにはヘリウムなども含め、もう少し広く地下の資源全体ぐらいのイメージで、知りたいです。