市川大祐選手の引退。

まさひとです。こんにちは。相変わらず私はずっと仕事も生活も忙しくバタバタしていて、山登りから離れています。仕方ないとはいえ、ちょっと悲しいです。本来このブログは山登りが中心なのですが、しばらくは山登り以外のネタが続きそうです。

 

 

 

さてさて、まず。2016年の10月にヴァンラーレ八戸より、市川大祐(いちかわだいすけ)選手が2016年度をもって現役を引退する、と発表されました。

 

正直に言うと、世間一般では市川大祐選手が果たしてどれほど有名なのか、あるいは残念ながらほとんど知られていないものなのか、私にはよく分からないのですが。清水エスパルスの右サイドで長くレギュラーを務めた、背番号25番の選手です。日本代表にも選ばれて、合計で10試合に出場しています。

 

清水エスパルスには、沢登正朗から伊東輝悦に斎藤俊秀などなど、それぞれの時代を象徴してきた選手たちが数多くいますけれど。市川大祐選手もそういう伝説的な選手のひとりであり、個人的な話をすると、私のスターでした。

 

 

 

また、引退して2017年2/1以降には、清水エスパルスで普及部スタッフへ就任することも清水エスパルスより発表されました。いちおうウィキのリンクも貼っておきます。

市川大祐 - Wikipedia 

 

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 (この写真は、以下の清水エスパルス公式サイトよりお借りしました。)

 

www.s-pulse.co.jp

 

市川大祐選手からのメッセージも、リンクを貼っておきます。

m.s-pulsemobile.mopita.com

 

 

 

ひとつ、個人的な思い出を書きます。もう、はるかに昔の2000年の8/5ですが、日本平スタジアムにて行われたガンバ大阪との対戦を、私はスタジアムで観戦&応援していました。この試合で市川大祐選手は、後半の71分から沢登正朗選手と交替して入ります。試合は1対1の同点のまま延長戦になります。

試合詳細 2000年J1s第8節 清水エスパルス 対 ガンバ大阪 | FootballGEIST

 

この時期の清水エスパルスは、弱くはないけれどチームの歯車がうまく噛み合っていなくて、何をどうしたいのかが伝わってこない印象でした。選手たちのイライラと、観客のがっかりした感情がスタジアムに満ちていた気がします。その不調の原因のひとつとしては、市川大祐選手がオーバーワークおよび過労のためにチームを離れていて、右サイドや中盤における幾つかの人や戦術とか約束事を変えざるをえなかった影響があります。

 

 

 

この試合ですが、延長戦の、記録では97分となっているから7分目でしょうか、左サイドから上げられたクロスを市川大祐選手がヘッディングゴールを決めて、2対1で勝ちました。スタジアム全体が、ゴールの直前に総立ちになって、ゴールが決まると爆発したかのようでした。

 

決勝点のゴールを決めた瞬間に、市川大祐選手は、エスパルス側の応援席の前へと飛び込んできまして。何か大声で叫びながらガッツポーズを繰り返し、選手たちスタッフたちに囲まれて大泣きしていました。私のすぐ、ほんの目の前で。何て派手な復活だろうと思ったものですし、清水エスパルス市川大祐選手もこのままズルズルと終わるわけじゃないって思いました。

 

 

 

 市川大祐選手については、多くの記事があります。オススメを幾つかリンクを貼っておきます。

 

r.gnavi.co.jp

 

 

r.gnavi.co.jp

 

 

news.livedoor.com

 

 

 

それから、ちょっと表現の難しいことを思い浮かぶままに書きます。

 

 

 

何かと言えば、つまり。市川大祐選手がサッカー選手として本当に幸せだったのか、正直なところ私にはよく分からないままでいるのです。もちろん市川大祐選手が、巨大な才能に恵まれていた事は間違いありません。巨大な才能に恵まれなければ、高校生でありながら清水エスパルスのプロ選手となるなんて考えられませんし。また、このたびの引退までで公式戦へ出場した時間が合計で39318分間にもなる、なんてことも巨大な才能に恵まれなければ決してありえません。

 

更に言うと。日本代表に選ばれて10試合に出場するなどという話は、どれだけ巨大な才能に恵まれたとしても、それだけではなくて。本人も非常に努力をして、なおかつ天の運にも人の運にも恵まれなければ、あるはずもないです。

Jリーグ選手情報・出場記録 市川 大祐 | FootballGEIST

 

 

 

そんな市川大祐選手でも、サッカー選手として果たして本当に幸せだったのかどうか、このたびの引退の話をうけて、いま私は良く分からない気がしています。

 

 

 

日本代表にも何回か選ばれて10試合に出場したけれど、市川大祐選手は日本代表のレギュラーという存在にはなれなくて。選手としての後半は、怪我と手術とリハビリが続き、短期間であちこちのチームに移籍していますから。おそらくはサッカー選手として不本意なパフォーマンスに留まっていたのだろう、と私は理解しています。

 

市川大祐選手は、後半の怪我や手術とかリハビリがこれだけ続かなければ、所属チームや日本代表でも活躍がもっと出来てもおかしくなかったですし。収入という意味だけでなく、人との出会いや練習の環境などでももっと幸せなサッカー人生を送る事だって出来たのかも知れない、と思います。

 

 

 

とはいえ。どれだけ練習して頑張っている中学生や高校生でも、プロのサッカー選手になることは、一般的にはほとんど、まず、ありえない進路ですから。そもそもプロになることが出来ただけでも非常に恵まれているだろう、とも思いますし。プロになったといっても決して少なくない数の選手は、出場も報道もないまま20代のどこかで契約を終了していますから。こうやって30代の半ばまで現役を続けることが出来たら、更には引退のセレモニーをやってもらえるなんて、もう充分に恵まれているのかなとも思います。

 

結局のところ、いつどこのチームへ所属するのが本当は良かったのか悪かったのか、更に言えば怪我とか手術そしてリハビリでも、いつどこで何をどうしていたらもっと幸せだったのかなんて、誰にも分からないことです。市川大祐選手だけに限らず、誰でもです。

 

 

 

市川大祐選手が、サッカーの選手として引退を迎えた時に、果たして幸せだったのかどうかは誰にも分からない話なのだろう、と私は思います。でも、少なくとも私は市川大祐というサッカー選手に出会えて、とても幸せでした。たくさんの感動と、ワクワクドキドキがありました。

 

 

 

市川大祐選手は、巨大な才能にも恵まれていたけれど、それはそれとして努力だって半端無く続けてきたわけで。だったら私も、せめて市川大祐選手が続けて来た努力の半分でもやらなくちゃ話が始まらないだろうと、繰り返し思いました。また更に言えば市川大祐選手は、人との出会いを大切にしてきたからこそ、こうして多くのひとから敬愛される今の市川大祐選手へと成長してきた面だってあると思います。

 

誰だって、うまくいく時ばかりではありませんが。つらく、悲しくて心が冷えた時に、よく私は市川大祐選手の復活ゴールを思い出しては、自分の心を温めたものでした。

 

 

 

スターという言葉には、有名人とか、夜空の星とか、幾つかの意味がありますが。運命、という意味もあります。

 

だから、選ばれたスターはまるで夜空に光る星のように、引退してからも消えてしまうことは無い運命なのかなと思います。そして市川大祐という選手が放った輝きは、これからも私の中で消えたり色あせることは無いです。