城という言葉は、同じ文字を使っているけれど、日本と中国だと意味が違う。

まさひとです。こんにちは。

 

相変わらずバタバタしていて、私は山登りと縁のない生活が続いています。だからこのブログも、本来は山登りブログのはずなのですが、しばらくは山登り以外のネタばっかりが続きます。残念ですが、仕方ないです。こういうこともある、としか言いようもありません。

 

花粉は猛烈に飛んでいて、しかし3月も終わりそうなのにかなり寒いです。充分な睡眠は難しいけれど、体調はまあまあです。もう少し温かくなってくると体調も、抱えている用事も少しずつ変わって行くのではないかと思っています。

 

 

 

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(この写真は静岡県掛川市内にある横須賀城跡で、2016/07/24に撮りました。全国的には無名かもしれませんが、けっこうオススメです。)

 

 

 

さて。私は神社とか城跡とかが好きで、あちこち見て回っています。今回は城という言葉が、日本(しろ)と中国(き)では同じ城という文字を使っていても、意味が違うという話です。

 

では、先ずは有名なところから。

 

 

 

 「春望」 杜甫

 

国破れて 山河在り

城春にして 草木深し

時に感じて 花にも涙をそそぎ

別れを恨んで 鳥にも心を驚かす

烽火 三月に連なり

家書 萬金に抵る

白頭掻いて 更に短かし

渾べて簪に 勝えざらんと欲す

 

杜甫 - Wikipedia

春 望 漢詩紹介<中国の漢詩>

 

 

 

ロマンチックで、対比が鮮やかで、くどくどしい説明がなくすっきりしていて、素敵な漢詩です。膨大な漢詩のなかでも、この杜甫「春望」はおそらく最も有名なもののひとつだろうと思います。詩の中では「国」とだけ書かれていますが、唐を指しています。また、「城」とだけ書かれていますが、唐の首都の長安を指しています。詩の始まりは、安史の乱を経て唐という国も都の長安もひどい状況になった、と言っています。

 

もともと中国の言葉である「城(き)」とは、現代の表現をすると、城壁を指します。万里の長城も、城壁ですよね。

 

 

 

大陸においては、中国だけではなく中近東でもヨーロッパでもどこでも、いわゆる都市とは本来なら城壁に囲まれているものでした。北京でも長安でも上海でも、テヘランでもバグダッドでもイスタンブールでも、ローマでもパリでもどこの都市でも、です。大陸において都市とは、必ず城壁と一体でありました。だから唐における長安という都市を、詩の中では城と表現しています。

 

城 - Wikipedia

城郭都市 - Wikipedia

城壁 - Wikipedia

 

 

 

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(この写真は静岡県牧之原市内にある勝間田城跡で、2015/10/25に撮りました。こういう石垣も水堀も建築物も無いような土だけの城跡も、私はかなり好きです。)

 

 

 

逆に日本語で城(しろ)というと、松本城や姫路城とか犬山城彦根城などといった、堀や石垣とか曲輪に櫓などで構成された軍事施設を指します。静岡市とか浜松市といった都市を、日本国内の都市は城壁で囲まれていませんから、日本語では城と呼んだりはしません。

 

本来の中国語の意味で文字を充てるのなら、日本語(というか大和言葉)における「しろ」に最もふさわしい言葉は「砦」ではないか、と私は思います。なぜならば、その内部で、基本的に戦闘員ではない一般の市民の生活が百年以上も行われる場所ではありませんし、あくまでも軍事的な目的で作られているためです。

 

 

 

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(この写真は掛川城跡で、2016/09/19に撮りました。掛川城天守閣は鉄筋コンクリートではなく、木造で再現されています。)

 

 

 

おそらく、ですが。もともとの大和言葉で「しろ」と呼んでいたものが全国の各地に、ひょっとしたら村ごとに神社とお墓があるような感覚で、それぞれ村ごと地域ごとに存在していたのだろうと思います。そして中国から文字が入ってきた時に、中国の言葉で呼ぶ「城(き)」と意味が似ているので、城という文字を大和言葉の「しろ」にあてたのでしょう。

 

では、もともとの大和言葉で「しろ」と呼んでいたものとは、いったい何だったのだろうかと私はずっと調べたり考えたりしていますが、どうもはっきり分かりません。とはいえ、他の大和言葉における「しろ」とは、例えば「よりしろ」とか「なえしろ」がありますが、おそらくは土を掘ったり盛ったりして作るものであり、多分に象徴性を持っているものを指すのかな、と思っています。

 

 

 

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(これは浜松城で、 2014/07/06に撮りました。今でも日本の各地に残っている多くの城跡では天守閣を再現したがりますが、個人的にはあんまりオススメしません。城跡に何らかの価値があるとすれば、あくまでも規模とか位置とか配置そして遺構においてである、と私は思うから。更に言えば、そもそも天守閣が存在していなかった城跡に鉄筋コンクリートで無理やり天守閣を建ててしまうなんて、歴史にも地域にも建築にも冒涜だと思う。)

 

 

 

ところで。いま京都と呼ばれている都市は、平安京の都という意味ですが。どうして唐の長安を模倣して平安京を建都した時に、門だけ建てておきながら城壁は築かれなかったのだろうか思います。そもそも都市を囲む城壁が存在しないのに、わざわざ門だけ建てることにどういう意味があったのか、私にはよく分からない。

 

とはいえ日本国内の都市は、大陸の都市と違って異民族による侵略や略奪とか破壊を、現実にありうることと考えて対処し防衛していないから。必要性が少なくて、しかも予算が限られていると、とりあえず計画だけはあっても現実に都市全体を城壁で囲むことはやらないのかな、とも思います。

平安京 - Wikipedia