2/23に、勅使池をぐるっと歩きました。

まさひとです。こんにちは。

 

毎日毎日、色々な事が起こります。私は私なりに仕事や生活に頑張っていますが、うまくいくことばかりでもなくて。出来ないこともありますし。やれやれです。

 

そうだなあ。とりあえず花粉が治まってくれたら、もうちょっと楽になるだろうなあ。

 

 

 

 

さて、本題へ戻ります。2/23の天皇誕生日だったら私は、何とか出掛けることが出来そうでした。もちろん膝を悪くしていて、本格的な山登りは難しいです。とはいえ無理しない範囲で歩いてみたいですし、中京圏には興味あるところがあちこちにあります。

 

そんなこんなで、今回は豊明市にある勅使池(ちょくしいけ)をぐるっと歩いてまわり、できれば二村山(ふたむらやま 71.8m)にも寄り道しようと計画しました。

 

直前に天気予報が、冷たい雨だとなりましたが。まあ、これくらいの雨だったら、どうしても中止するってほどでもないな、いっそ雪になればラッキー、と思ってスタートしています。

 

当日のGPS記録はこちらです。

勅使池ぐるっと - 2024年02月23日 [登山・山行記録]-ヤマレコ

 

 

 

 

では、写真を見ていきましょう。

 

 

 

 

改めて、こんな冷たい雨ですが、本日は勅使池を歩きに来ました。豊明市名古屋市の境目にあります。勅使水辺公園の駐車場からスタートして、ゴールします。大きな屋根の東屋があり、そこで私は雨具や長靴を準備しました。

 

 

 

水面に張り出した桟橋があったので、ちょっとだけ歩いてみました。勅使池という名前は16世紀、この溜池を改修工事するように、と勅使が訪れたことに由来する、らしいです。

 

 

 

堰堤の上を歩くと、水門というか取水口が見えます。ここから多くなった水を逃がすわけで、排水口と呼ぶべきなのかも。堰堤の高さが知りたいのだけれど、良く分からなかった。

 

 

 

池には水鳥がいっぱいいて、こんなに寒いけれど、バチャバチャ騒がしかった。遠くて動くから写真は無理でしたが、鳥の観察には良いところだと思う。

 

 

 

また浮き桟橋を歩きます。今は雨と雲の冴えない景色だけど。春になれば新緑と花が綺麗だろう。

 

 

 

元々の予定だと、この写真の辺りから、二村山へ行ってくるはずでした。しかしこんな天気だし、靴や雨具が泥で汚れると片付けが大変なので、今回は勅使池だけにしています。

 

 

 

この勅使池を一周する遊歩道は、2013年に公園として整備された際に設けられた、という理解で良いのかな。池そのものは、はるか昔からあるみたいですが。

 

 

 

中京圏というか濃尾平野は、ずっとずっと昔から穀倉地帯だったために、多くの溜池が作られまして。近代以降それらの溜池は、都市公園に取り込まれ、今でも市民の生活と共にあるわけです。

 

 

 

はるか昔に作られた溜池が、今でも市民の憩いの場として、大都市の中で役割を持ち続けることで、維持管理されていて。これって、なかなか素敵な都市設計だなと思うのです。

 

 

 

遊歩道を歩いていると、どうしても池ばっかり見てしまいますが。実はこの池を囲む森というか木々が、なかなか綺麗でした。

 

 

 

池を囲む森には、ところどころに踏み跡や何かのマークがありまして。これらの踏み跡とかマークって、誰が何のために残したのだろうと不思議でした。

 

 

 

冷たい雨の中ですが、私以外にも歩いているひとがチラホラおりまして。桜の咲く時期だったら、すごくいっぱいのひとが来るのだろうと思います。

 

 

 

駐車場へゴールしました。二村山にも行けば行けたかな?しかし行ったら、靴も雨具も泥で掃除が大変になっただろうから。今回は中止して正解だと思う。晴れて花も咲いている時期に、また二村山は行くとします。

 

 

 

時間が予定よりも早かったので、すぐ近くの沓掛城跡にも寄り道しています。桶狭間の戦いの前日に、今川義元側の軍議が開かれた場所です。



 

沓掛城跡って、大都市の近郊にあり、山や丘ではなく平らなところの城跡にしては、わりと遺構が残っているほうではないかなあ。空堀と土塁と曲輪が分かります。

 

 

 

今川義元側も、この沓掛城に首脳陣は留まっていれば、あんな展開にならなかっただろうに。

 

 

 

 

今回も、感想を3点挙げておきます。

 

 

 


①すごく冷たい雨の中ですが、実際に歩いたらこれはこれで楽しかった。山登りだったら、中止するほどの雨では無いと思ったのです。片付けは面倒になりますが。直前に登山靴ではなくて、単なる長靴にチェンジして正解でした。

 

 


②今回は二村山に行けなくて、残念は残念だけど。どこかで花が咲く季節に、また来てみたいです。こういう場所だと、ごく気軽に来たり延期したりできるので、すっごく気持ちが楽ですね。

 

 


③沓掛城跡は、こういう大都市の近郊にあるものとしては、けっこういい状態で遺構が残っているほうだと思います。今回ここを見て歩いたら、桶狭間の古戦場がある辺りも見て歩きたくなりました。

 

愛知県の今では西尾市になるのかな、今川というところがありまして。そこが今川氏の本貫の地だと理解しています。

 

今川義元側は、当時まだ有名ではなくても相手が織田信長だ、という認識が薄くて。この先に起こる戦闘で負けたら、何もかもすべてを失うという覚悟が果たしてどれだけあったのかなあ。そんなふうに思いました。

 

 

 

 

2/3に、清洲城跡から美濃路を歩く。

まさひとです。こんにちは。

 

 

 

 

日々、様々なニュースを見聞きしていると、こんな私でも時々思ったり考えたりすることがあります。

 

例えばちょっと前に、安楽死を合法化しようという意見というかニュースというかを見かけました。これ、いつか合法化されれば理想的だとも思いますが。しかし現状のままだと、障碍者や問題を抱えているひとが、周りから強制的に安楽死を申し出させられる展開が目に見えているために、どうにも賛成しようがないのですよ。

 

他にも狂犬病予防とか、HPVワクチン接種とか、石川県というか能登半島の復興とか、考えたり調べたりしています。

 

 

 

 

さて、本題へ戻ります。2/3に私はひとりだけで、清洲城跡から美濃路を歩いてきました。

 

12月から私は膝が痛くなりました。だから、本格的な山登りは難しいです。とはいえ、どこかに出掛けたい気持ちはあります。膝の関節の周りにある筋肉だって、ずっと引き籠っているのは良くありません。

 

というわけで、今回の企画となりました。標高差をほとんどゼロにして、荷物も軽くして、昔の街道を歩くのです。

 

ここだったら、途中あちこちに見どころがあります。こういう展開でもなければ、あんまり来ることもなかったでしょう。清洲公園では梅や椿が咲いていて、ちょっと嬉しかった。

 

当日のGPS記録はこちらです。

清州城から美濃路を歩く - 2024年02月03日 [登山・山行記録]-ヤマレコ

 

 

 

 

では、写真を見ていきましょう。

 

 

 

 

清洲駅を8時半にスタートします。歩き始めてみたら、ゆるくカーブしていて、昔からの街道っぽい面影があります。寒いけれど風が無くてラッキー。出来るなら駅前の喫茶店へ寄りたかったけれど、混雑していて時間がかかりそうだから諦めました。

 

 

 

清洲宿の本陣跡です。残念ながら濃尾地震で建物は倒壊していて、僅かに残ったこの正門だけが縮小して再建されています。

 

 

 

清洲公園に着きましたら、梅がちょっと咲いてました。持ってきたアップルパイとホットコーヒーで、ひとやすみしています。写真の右奥ですが、信長と濃姫銅像があります。とはいえ濃姫は、実際にはほとんど記録が無くて。織田信長と結婚したあとどこで何をしていたのか、全く分からない存在だとか。

 

 

 

五条川の水辺の散策路を通って、清洲古城跡公園にも来てみました。

 

 

 

清洲古城跡公園ですが、清洲城の概要が建っていました。歴史的な変遷などは分かりますが。そもそもなんだってこんな、五条川が氾濫したら直撃されるところに築かれたのか、不思議です。

 

 

 

本丸東面を発掘調査した際に出土した石垣ですが、五条川沿いのところへ移築されていました。石垣の奥や下側など、興味深かった。

 

 

 

では、再建された清洲城天守閣へ進んでいきましょう。そこでは刀剣や鎧兜も展示されていますが、映像が多めでした。名古屋城が築かれる前まで、ここ清洲城がある一帯が、尾張の国において政治と物流と文化の中心地であったわけです。

 

 

 

これは天守閣の最上階から南側を見ていますが、名古屋市の中心街にある高層ビルが見えます。濃尾平野って高い山がほとんどなくて、ずっと平らなところの中に清洲城が築かれていたんだなと実感します。

 

 

 

清洲城をあとにして美濃路を歩き、日吉神社へお参りします。大きくて、古い神社でした。2/3だから境内では豆まきと、何かの神事が執り行われていました。

 

 

 

街道を歩いていると時々、古い建物が残っていますが。これらはいつの時代の建物なのだろう。江戸時代の建物とは思えなくて、昭和の頭ぐらいなのかな。

 

 

 

昼ご飯ですが「やわらかとんかつ彩」さんにて、チキンカツの定食を頂きました。私が住んでいる所の周りに飲食店は全くないので、こういう地域がとてもうらやましい。

 

 

 

須佐之男神社にお参りします。須佐之男神社の、線路を挟んだ奥には、豊和工業株式会社がありまして。いつか何とか見学してみたいところです。

 

 

 

街道っぽい。

 

 

 

古民家カフェ「みどりや」さんです。13時を過ぎていたので、もう閉まっていました。ううむ、残念。

 

 

 

松原神社にも、お参りしています。こういう神社だったら躊躇せず、お参りしていますが。お寺だと、どこまで勝手に入っても良いのか毎回迷ってしまいます。

 

 

 

本日の最後の見どころで、問屋記念館にお邪魔します。青果市場「下小田井の市」の創設者のひとりである、山田九左衛門家の住居を移築復元したもの、です。中へ入ってみると、手前には土間で、奥に仕事する和室があります。二階には入れませんでした。

 

 

 

靴を脱いで、仕事する和室の奥に進みます。趣味のいい坪庭があり、そのさらに奥には生活する和室があります。建築されたのは明治初期だそうですが、江戸時代の様式を色濃く残してます。



 

あとは二ツ杁駅(ふたついりえき)へゴールして、どこへも寄り道せずに帰りました。お疲れさまでした。なかなか楽しかった。この先に続く美濃路へも、いつか来ることがあるかな。

 

 

 

 

今回も感想を4点挙げておきます。

 

 

 


①街道としては、ゆるくカーブしたり僅かに面影が残っているけれど。濃尾地震や戦争それから近代化によって、建物はあんまり残っていません。まあ、感動的な街並みとかではありませんが。これはこれで楽しかった。ごく身近なのも良かった。

 

 

 


清洲城に限らず、こういう現代に再建された天守閣というのは、歴史や地域それに城郭を紹介するパンフレットなどの、もっとずっと大掛かりなやつ、という位置づけになると私は理解していますが。これでいいのかな。

 

実際には微妙だったり、残っている城郭の遺構を破壊して再建してしまう場合もあるので。

 

 

 


③やっぱり膝は、ちょっと痛いです。今後の膝の状態を考えるなら、もう本格的な山登りは難しいです。とはいえ街道歩きも、膝には負担があるわけで。だったら、何か膝に負担のぐっと少ないことを、真面目に探していく方がいいのかな。これから20年間ぐらい、ずっと続ける何かを。

 

 

 


④本格的な山登りに行くと、どうしても食事って、出来る範囲で何とかするとしか言えませんが。今回のような街道歩きなどだと、ごく普通の飲食店へ入って、美味しく温かい食事が苦労せずに出来るわけです。当たり前なのですが、これは大きな違いでした。

 

逆に。トイレはその辺で済ませるわけにもいかないので。あらかじめ場所を調べておき、計画的に寄り道する必要があります。