4/14に、藤川宿と牛乗山から東海道を名電山中駅まで歩きました。

まさひとです。こんにちは。暑くなりました。

 

いま世の中は大型連休で、私の勤務先も暦通りに休みです。昨日4/28日曜日は奥さんと、近所で朝ご飯を食べてから神社へお参りしています。市役所の休日窓口へ行って、マイナンバーカードのロック解除とパスワード変更を手続きしました。

 

休養もしていて体調はまずまずでしょうか。

 

 

 

 

さて、本題へ戻ります。4/14だったら、どこかで何か出来そうでした。とはいえ私は膝が痛くなってしまい、もう本格的な山登りは難しいです。

 

調べて考えて、今回は愛知県岡崎市内にある藤川駅からスタートして、藤川宿など東海道を見て回り、途中にある山へ幾つか寄り道して、名電山中駅にゴールしようと決めました。

 

ここだったら、距離は8kmぐらいで標高差も250mぐらいだから、まあ、ほどほどです。途中に見どころが幾つもあります。時期も問題ありません。街道歩きでもありながら、山登りでもあります。

 

当日のGPS記録はこちらです。

藤川宿と牛乗山から東海道を名電山中駅へ。 - 2024年04月14日 [登山・山行記録]-ヤマレコ

 

藤川宿 - Wikipedia

 

 

 

 

では、写真を見ていきましょう。

 

 

 

 

藤川駅からスタートします。やや暑いかな。隣にある道の駅は9時の開業だったので、お土産を買うことはせず、トイレだけ寄りました。

 

 

 

踏切を渡り、街道へ出ました。これは十王堂で、閻魔大王など冥土で死者を裁く十人の裁判官が祀ってあります。境内には、松尾芭蕉が藤川宿を訪れた際に詠んだ句の石碑が立っています。

 

 

 

松並木と藤川小学校です。街道沿いに並木があると、当時の物かどうか分かりませんが、すごくさまになるというか、絵としてぴったりくる気がします。

 

 

 

藤川宿の資料館へ寄ってみました。脇本陣跡に建てられた、藤川宿に関する資料を展示した施設です。無人で、自分で明かりを点けます。奥にトイレがあります。館内には、当時の藤川宿の街道模型や、高札とか、藤川宿駒曳朱印状のパネルなど、藤川宿に関わる資料が展示されています。

 

 

 

こちらは藤川宿の本陣跡です。残念ながら、当時の建築物は残っていません。とはいえここから見える山々は、当時とほとんど変わらないはずです。本陣跡の裏側には、当時の石垣だけが残っています。あちこち小さな花が咲いていて、季節だから農作業されていて、流れる水の音が印象的でした。

 

 

 

途中にある喫茶店の「いこい」さんで、今回もモーニングを頂きました。パンだけではなく、こういうご飯と味噌汁のモーニングもあるのは珍しい気がするな。

 

 

 

関山神社にお参りします。本日の無事を願っています。

 

 

 

関山神社の脇から、奥宮へ続く参道を登ります。標高差は100mぐらいですが、けっこう傾斜がきついです。

 

 

 

この登ってきたルートは、濡れているところが長く、岩っぽいところもあり、やや気を使いました。私のほかに、ソロの女性が登っていきました。

 

 

 

関山神社の奥宮から稜線すぐのところですが、一畑山薬師寺があります。すっごいたくさんのひとでした。本堂とかに加えて、ここには温泉と食堂もあるようです。

 

 

 

薬師寺の駐車場のいちばん奥から、また山へと踏み込んでいきます。ところどころにミツバツツジが咲いていました。頂上の一帯は、花崗岩なのかな、白い砂に覆われていて。かつて登った山梨県の日向山を思い出しました。眺めだって、標高のわりに素敵です。

 

 

 

稜線上を下っていくと、分岐点がありました。私は予定通りに、ここを南西へ進みましたが。帰ってから調べると、ここを南東に進んでいけば今回最後に登った秋葉神社愛宕社に行くらしい。

 

 

 

下っていくにつれて、ルート脇にお地蔵さまが目立ちました。すごくいっぱいありますが、これはいったい何なんでしょうか。

 

 

 

徳性寺と藤川稲荷の境内へ降りてきました。こういう低い山々でも、問題なく降りてくるとホッとします。ちょっと休憩してから、また東海道を歩きます。この写真の建物は、手前が旧市場公会堂と、奥に旧山中郷々蔵です。公会堂は大正6年の建築、施工は町内に住む宮大工の山田許一氏によるそうで。すごいな。

 

 

 

藤川宿における東の棒鼻です。棒鼻とは出入り口のこと。藤川宿を描いた浮世絵では、この棒鼻がお約束だったらしくて。平成元年に復元されたそうです。

 

 

 

山中八幡宮にも寄り道します。ここの敷地内に「鳩ヶ窟」(はとがくつ)と呼ばれる洞窟があって、何でもそこは家康が隠れたという話です。

 

 

 

大きくて立派な神社ですね。奥から登って来て、表を下るかたちになりました。きちんと表から登ったほうが良かったのかな。表の参道は石の階段になっています。参道の途中に井戸があり、何だか変わったほうに延びているルートもありました。

 

 

 

また街道歩きへ戻って、ここにも松並木がありました。やや暑いぐらいだったから、日陰はありがたかった。

 

 

 

民家の間から、最後の目的地の、愛宕社に向かいます。時間も問題無いから、奥宮まで予定通りに登ってみるとします。愛宕社の、こっちが里宮になるのかな。お掃除や作業されているかたがいて、とっても感謝でした。

 

 

 

奥の宮へと登る参道ですが、なかなか急な傾斜でした。参道には「火の用心」という看板がいっぱいあって、何なんだろうと思いましたが。頂上には奥宮と、そして秋葉神社がありました。眺望は無し。たぶん秋葉神社があるから、「火の用心」がいっぱい建ててあったのかも。

 

 

 

名電山中駅へとゴールしました。おつかれさまでした。思わず冷たいジュースを買ってしまい、すっごく美味しかった。

 

 

 

 

今回も感想を4点挙げておきます。

 

 

 

①天気も体調も問題無くて、無事に出来て良かったです。

 

昔は、行きたいときに行きたいところへ行けるなんて、当たり前というか意識もしませんでしたが。私自身こういう年齢になって、しかもこういう世の中の状況になると、出来ることは決して当たり前ではなくて、頑張っても出来ないものは出来ませんから。結果うまく出来て、とても良かったと思います。

 

 

 

②今回は、いちおう街道歩きのつもりで計画しましたが、思ったよりもずっと、山登りな印象でした。

 

今回は距離が8kmぐらいで標高差は250mぐらいだから、いわゆる本格的な山登りとまで言えませんが。しかしこの程度でも時々は歩いていないと、段々とハードルが高くなっていく印象あります。

 

 

 

③山の中だったら、好きな時に好きな場所で食事でもトイレでも何でもすればいいのですが。街道歩きでは住宅街を歩いていると、どこでも何でも出来る訳じゃ無くて。

 

特にトイレは、トイレがあるところへ来たら、ひんぱんに寄っておく方がいいです。絶対に。

 

 

 

④今回は「いこい」さんにてモーニングを頂きましたが。こうやって途中にある喫茶店などで、モーニングを頂くのが毎回の楽しみになりました。本格的な山登りの場合みたいな食料も水も持ちあげなくても済むので、私の膝にもありがたいです。

 

 

 

 

 

3/24に、気賀関所を歩きました。

まさひとです。こんにちは。

 

最近ぐっと温かくなって、桜や木蓮とかみんな咲き始めました。相変らず私は抱えている用事が多くて、どうしても寝不足気味です。もうちょっと余裕が欲しい、かな。

 

 

 

 

さてさて、本題へ戻ります。3/23~24に私は静岡市浜松市へ行ってきました。

 

3/23の私は勤務先を休み、静岡市へ向かいました。清水区内の病院で身内をお見舞いし、色々な相談をしています。本人は、色々な準備や連絡とか心身の負担とかで、すっごく大変だったそうですが。手術そのものは、まずまずうまくいったそうで。とりあえず良かったかな。

 

3/24は浜松市内で9時半に、親戚と待ち合わせしました。こちらは急な展開となり、みんなびっくりでした。

 

親戚にご挨拶したあと、雨も降り始めて、どうしようか考えましたが。やっぱり気賀関所のまわりだけ、歩いてみようと決めました。

 

当日のGPS記録はこちらです。

気賀関所ぶらぶら - 2024年03月24日 [登山・山行記録]-ヤマレコ

 

 

 

 

では、写真を見ていきましょう。

 

 

 

 

3/23(土)に私は、静岡市内まで身内をお見舞いに行きましたが。その前に「トリオ」さんで昼ご飯を頂きました。非常に個性的な店内(失礼)ですが、味もサービスも気に入りました。

 

 

 

14時から病院は面会開始ですが。今は身内だけが15分間に限って、面会出来るらしいです。身内は、色々と大変だけど手術そのものはうまくいったみたいで、まあ、心配なこともいっぱいですが、有難い展開かなと。写真は入院先の病室の窓から撮りました。

 

 

 

今回も、清水区にある福住旅館さんへ泊まっています。片付けしてお風呂に入って、晩ご飯には「とんかつ多㐂本(たきもと)」さんへ伺って、あれこれいっぱい飲んで食べてきました。

 

 

 

ここから3/24(日)です。旅館を朝早く出発して、浜松市内で9時半に親戚と待ち合わせです。写真は途中の日本平PAで食べた朝ご飯。

 

 

 

親戚のご挨拶を終えて、雨も降りだして、今回あまりにも予定外のことがたくさんあり、どうしようか迷いましたが。やっぱり気賀関所のまわりだけ、みてまわることに決めました。

気賀関所 - Wikipedia

 

 

 

気賀関所は本来この場所では無くて、気賀駅を挟んだ反対側に設置されていました。今現在ある関所は、ふるさと創生事業で1990年代に再建されたものです。写真は取り調べをする本番所です。

 

 

 

遠見番所へ登ってみました。残念だけど、こういう天気だから眺めは冴えません。浜名湖を見渡すための施設、という理解で良いのかな。

 

 

 

いま一般に姫街道と呼ばれる街道って、正式には「本坂通」で、東海道の脇道として見附宿(磐田宿)から御油宿までを結んでいました。気賀関所に付随している「姫様館」には、当時の手形などが展示されています。

姫街道 - Wikipedia

 

 

 

天竜浜名湖鉄道の気賀駅に来ました。とっても小さな駅です。中を覗いてみると、なぜか「ゆるキャン△」のポスターがありました。駅の横というか構内で、中華料理店の「貴長」が営業していて、ここで昼ご飯を食べておけば良かったかな。

 

 

 

細江神社へお参りしました。明応七年に、今の湖西市あたりからこの土地へ地震津波で辿り着いてきた、ご神体をおまつりしている神社だと私は理解しています。

 

 

 

細江神社の奥ですが、「浜松市姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館」にも寄ってみました。この地で発見された銅鐸が、これだけの数で展示されているって、本当に凄いと思う。これは2階です。

 

 

 

細江町ではイグサの栽培と、タタミやムシロの製造が盛んでした。江戸時代に地震による津波で、たんぼが潮をかぶり、稲作が難しくなってしまい、塩害に強いものの栽培と製造が必要になったため、イグサの栽培が始まったそうです。こちらが1階。浜名湖で漁をする道具も展示ありました。

 

 

 

この歴史民俗資料館の表には、江戸時代の「産屋」が移築されています。明治の初めまで出産は、こういう場所で行われていたそうで、何なんだろう。

 

 

 

歴史民俗資料館の近くですが、「犬くぐり道」があります。本来なら、誰もが理由を問わず、時間と手間をかけて関所を通過するべきですが。しかし、現実にここで生活している領民は、毎回毎回関所を通過するなんて不便すぎるので。ここを犬として、抜けて行き来していたそうです。

 

 

 

細江の町を今回歩きましたが、この写真の様な古くて大きな住宅とか、他にも立派な寺院が見えまして。今でこそ寂しげな田舎だけれど、かつては経済的にも文化的にも栄えた土地なのだな、と思います。

 

 

 

天竜浜名湖鉄道を渡ります。いつか姫街道の、引佐峠とか本坂峠を越えるところだけでも歩いてみたいものだけど。どうすれば出来るのだろうか。



 

細江図書館の前庭には、この細江に関係ある文学の記念碑が幾つか建てられていました。古くからの街道だから、あっても不思議ではないな。

 

 

 

夕方には愛知県内まで問題なく帰宅しています。

 

 

 

 

今回の感想を3点挙げておきます。

 

 

 

①今週末は、最初の予定から二転三転しましたが。私の置かれている立場としては、最低限の役目を果たしたのかな、とも思います。

 

全体の状況と、私の置かれている立場を考えて、まずは必要なことをするのです。

 

 

 

②膝が痛くなって、家族親戚の用事をいっぱい抱えていて、しかも当日は寒々しい雨になりましたが。役目を終えてから、無理しない範囲で、こうやって歴史めぐりが出来て良かったかなと思います。

 

何でもできるわけじゃないし。やればいいってことでもないけれど。大人なのだから自分自身の機嫌は、自分自身で良い状態に保っていきたいのです。

 

 

 

③今回も前回も雨のなか、屋外を歩いてまわると、時々びっくりされますが。中止するほどの雨ではない、と私は考えました。もちろん片付けとか、面倒ではありますが。あくまでも程度の問題だ、と私は思います。