3/20に、小笠山を縦走しました。

まさひとです。こんにちは。

 

毎日一分間ずつ、日の出ている時間が長くなってきています。今年はずいぶんと遅れましたが桜も満開になり、近くにある岡部宿へ奥さんと花見に行きました。桜の他にもツツジがちらほらと咲きだしています。私は山吹が大好きですが、このところあんまり見かけていなくて残念です。私ですが、相変わらず用事が多くて、バタバタと忙しく日々を送っています。体調はイマイチですが、何とかやり繰りしています。

 

 

 

さて、先日の2017/3/20ですが。私は所属している静岡踏岳会の先輩たち6人と一緒に、袋井市掛川市にある小笠山を縦走してきました。

 

もともと小笠山の頂上のすぐ下にある六枚屏風には、いつか是非行ってみたいと思っていましたが。さすがにひとりでは、どうにも不安がありました。そこで、どうしたらより安全になるだろうかと思い、所属会の先輩たちと一緒に行こうと考えました。小笠山は標高も低いですし、六枚屏風だけ行くのなら、車でけっこう近くまで行くことも出来るのですが。そんな小笠山を、たっぷり山登りとして提案しようというわけです。

 

まあ春の霞みで眺望はあんまり無かったですし、三か月ぶりの山登りだから身体は大変だったけれど、これはこれでなかなか楽しかったと思います。六枚屏風の他にも、法多山尊永寺とか小笠神社に小笠山砦など途中の見どころも多いコースだから、参加したかたがたもみんな楽しんで貰えたみたいです。

 

 

 

一緒に登った先輩は、もうずっと前にブログをアップしています。

静岡の山と渓 小笠山

同じ先輩の、こちらは六枚屏風を通過したときの動画です。

静岡の山と渓 六枚屛風

 

あと、今回初めて私はiphoneGPSの記録を採り、ヤマレコへアップしています。このブログに直接記録を載せようかとも思いましたが、当面のあいだ記録はヤマレコにアップして、そっちのリンクを貼るつもりでいます。

小笠山 - 2017年03月20日 [登山・山行記録] - ヤマレコ

 

 

 

では、写真を見ていきましょう。

 

 

 

当日私たちは、JR愛野駅の南口にあるサークルケイで7時20分の待ち合わせでした。小笠山は幾つもルートがありますが、今回の私たちは、法多山尊永寺の門前にある土産物屋さんの有料駐車場からスタートしています。法多山尊永寺は、おそらく全員が観光で来ているはずですが、私も含めてあんまり覚えていないです。こんなに綺麗で豪華なつくりをしていたかなあ。お団子だけは良く覚えていますが。

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本堂で、道中の安全を祈願してきました。本堂の東側にある登山口から尾根を登ります。

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今回の小笠山ですが。ルートがある主稜線の、南側にある斜面はどこも緩やかな傾斜をしていますが、稜線の北側はほとんど直角に切り立っていてずっとガケになっています。どういう成り立ちをしたためでしょうか?不思議な地形です。写真の中央が216m地点で、9時ごろに到着です。

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シダが綺麗でした。

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モノレールが設置されていて、こんなガケばっかりの地形でも何か農作業が出来たのだろうかと思いました。モノレール沿いに下って、腹摺峠に10時ごろの到着です。峠の東側にはお地蔵さまなのかな、がありました。

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相変わらず山の北側ばっかりが、どこもみんなガケになっています。安易に覗き込むと危ない気がします。そして、こういうガケだらけのところで行方不明のひとが出たら、捜索するのは大変だなと思いました。

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狭い尾根上に手すりの設置されているところがありまして、ここの下をトンネルが通っているのだと思われます。トンネルの上を過ぎると展望台がありまして、10時45分ぐらいの到着でした。

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ルートは全体に良く整備されています。この箇所は橋がかけてあって助かりました。

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もう頂上に近いところまで来ましたが、頂上を後回しにして、私たちは先に六枚屏風へと向かいます。稜線上のルートには、六枚屏風の入口をしめす分かりやすい案内が設置されています。

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稜線からけっこう下って、ようやく六枚屏風の入口が見えてきました。

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こんな感じです。さあ、本日の一番の見どころです。ぱっくりと割れているなかへと踏み込んでいきましょう。

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進みます。

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もう一枚。

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六枚屏風を抜けました。ううむ、なかなかすごいところでした。このまま沢に沿って進みます。

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六枚屏風を抜けてから、沢というか谷底を進んで、どん詰まりを稜線に登り返します。この登り返しのルート探しが、私にはハードルが高い気がしていました。登り返した先の、鳥居とかベンチがあるところで、お昼の大休憩になりました。

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みんなが大休憩しているあいだに、私とTさんはふたりで鳥居の奥にある小笠神社までちょっと足を延ばしてみました。小笠神社も、大休憩しているベンチがあるところも、山を人工的に平らくしてあります。だから山頂とかおそらくこのあたりの平らなところが、小笠山砦だったのでしょう。

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行動を再開して、とりあえず頂上を踏みます。写真のように、全く眺望はありません。頂上で私たちは、予定より時間が遅れ気味だったので、これから下るルートを相談しました。そして、もともと予定していた南尾根ではなく、そのひとつ北側にある中尾根を下ろうと決まりました。

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南尾根を下るよりも中尾根を下るほうが、大きなアップダウンもありませんし距離も短くなりますので、おそらく1時間ぐらい短縮だろうと思います。計画した時に、ひょっとしたら中尾根を下るかもしれないとは思っていたけれど、現実になりました。224m地点~次の224m地点~212m地点と中尾根上を進みます。

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中尾根上にある162m地点から、送電線鉄塔の巡視路を下って、大石橋へと出てきました。あとは道路を歩いて、車を停めて来た法多山尊永寺の門前にある駐車場へと戻りました。

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先輩ひとりを、このあと町内の用事があるそうで愛野駅まで送り届けてから私たちは、さがら子生まれ温泉へ寄り道して、そのまま解散しています。思っていたよりも、ずっと楽しかった。

 

 

 

次に、今回の山登りを通して思った事を幾つか挙げておきます。

 

 

 

こういう小笠山のように、尾根や谷や小さなピークなどが複雑に入り組んでいるところでの地図読みは、いくら1/25000の地図を拡大コピーしていっても、どうしても限界があると思います。私は地図読みを常にやっていて、実際それなりに出来ていますが、しかし地図読みだけに頼るのは危険だと思います。

 

念のために書き加えておきますが。山に入る以上は、最低限の地図読みをやって当然だと私は思っています。更には地図読み以前の話になるけれど、山に入る前には、その山の概念がだいたい頭に入っていなくちゃいけません。本来ならば。

 

しかしながら。地図読みは、どれだけ頑張ったとしても、全員が出来るようになる類の技能でもありませんし。またどんなに地図読みを出来る人が頑張っても、間違える時は間違えるものです。私みたいに地図読みそのものが大好きな人間は、やりたいだけやって問題ないけれど。

 

 

 

という訳で、今回から私はiphoneGPSを記録しながら山登りしていて、その記録はヤマレコにも挙げてあります。おそらくGPSは、上手く使えば地図読みの限界を補ってくれる気がします。

 

でも。GPSがあるとしても、頼り切るのは危険ではないかと私は思います。谷の底みたいな地形だと場所が正確に出てきませんし、そもそもiphoneは気温が0度を下回ると挙動がおかしいし。何よりいくらなんでもバッテリの消耗が激しすぎると思うのです。

 

携帯電話ではなく、純粋なGPSを持っていくひともいますけど、値段が高い割には画面が小さくて現在地が分かりにくいです。既にGPSを持っているひとはともかく、まだGPSを持っていなくて逆にiphoneを持っているのなら、iphoneGPSとして使えばそれでも良いんじゃないか、とも思います。

 

 

 

山登りに行く時に、文明の利器をあまりにも過剰に持ち込むのもちょっとどうかとは思いますが。しかし道具も実力のうちかなとも思います。それぞれの個人の考えにあれこれ言うつもりは全くありませんが、より安全な山登りを目指すのならGPSiphoneのアプリケーションで入れておくのも良いのではないかと思います。

城という言葉は、同じ文字を使っているけれど、日本と中国だと意味が違う。

まさひとです。こんにちは。

 

相変わらずバタバタしていて、私は山登りと縁のない生活が続いています。だからこのブログも、本来は山登りブログのはずなのですが、しばらくは山登り以外のネタばっかりが続きます。残念ですが、仕方ないです。こういうこともある、としか言いようもありません。

 

花粉は猛烈に飛んでいて、しかし3月も終わりそうなのにかなり寒いです。充分な睡眠は難しいけれど、体調はまあまあです。もう少し温かくなってくると体調も、抱えている用事も少しずつ変わって行くのではないかと思っています。

 

 

 

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(この写真は静岡県掛川市内にある横須賀城跡で、2016/07/24に撮りました。全国的には無名かもしれませんが、けっこうオススメです。)

 

 

 

さて。私は神社とか城跡とかが好きで、あちこち見て回っています。今回は城という言葉が、日本(しろ)と中国(き)では同じ城という文字を使っていても、意味が違うという話です。

 

では、先ずは有名なところから。

 

 

 

 「春望」 杜甫

 

国破れて 山河在り

城春にして 草木深し

時に感じて 花にも涙をそそぎ

別れを恨んで 鳥にも心を驚かす

烽火 三月に連なり

家書 萬金に抵る

白頭掻いて 更に短かし

渾べて簪に 勝えざらんと欲す

 

杜甫 - Wikipedia

春 望 漢詩紹介<中国の漢詩>

 

 

 

ロマンチックで、対比が鮮やかで、くどくどしい説明がなくすっきりしていて、素敵な漢詩です。膨大な漢詩のなかでも、この杜甫「春望」はおそらく最も有名なもののひとつだろうと思います。詩の中では「国」とだけ書かれていますが、唐を指しています。また、「城」とだけ書かれていますが、唐の首都の長安を指しています。詩の始まりは、安史の乱を経て唐という国も都の長安もひどい状況になった、と言っています。

 

もともと中国の言葉である「城(き)」とは、現代の表現をすると、城壁を指します。万里の長城も、城壁ですよね。

 

 

 

大陸においては、中国だけではなく中近東でもヨーロッパでもどこでも、いわゆる都市とは本来なら城壁に囲まれているものでした。北京でも長安でも上海でも、テヘランでもバグダッドでもイスタンブールでも、ローマでもパリでもどこの都市でも、です。大陸において都市とは、必ず城壁と一体でありました。だから唐における長安という都市を、詩の中では城と表現しています。

 

城 - Wikipedia

城郭都市 - Wikipedia

城壁 - Wikipedia

 

 

 

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(この写真は静岡県牧之原市内にある勝間田城跡で、2015/10/25に撮りました。こういう石垣も水堀も建築物も無いような土だけの城跡も、私はかなり好きです。)

 

 

 

逆に日本語で城(しろ)というと、松本城や姫路城とか犬山城彦根城などといった、堀や石垣とか曲輪に櫓などで構成された軍事施設を指します。静岡市とか浜松市といった都市を、日本国内の都市は城壁で囲まれていませんから、日本語では城と呼んだりはしません。

 

本来の中国語の意味で文字を充てるのなら、日本語(というか大和言葉)における「しろ」に最もふさわしい言葉は「砦」ではないか、と私は思います。なぜならば、その内部で、基本的に戦闘員ではない一般の市民の生活が百年以上も行われる場所ではありませんし、あくまでも軍事的な目的で作られているためです。

 

 

 

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(この写真は掛川城跡で、2016/09/19に撮りました。掛川城天守閣は鉄筋コンクリートではなく、木造で再現されています。)

 

 

 

おそらく、ですが。もともとの大和言葉で「しろ」と呼んでいたものが全国の各地に、ひょっとしたら村ごとに神社とお墓があるような感覚で、それぞれ村ごと地域ごとに存在していたのだろうと思います。そして中国から文字が入ってきた時に、中国の言葉で呼ぶ「城(き)」と意味が似ているので、城という文字を大和言葉の「しろ」にあてたのでしょう。

 

では、もともとの大和言葉で「しろ」と呼んでいたものとは、いったい何だったのだろうかと私はずっと調べたり考えたりしていますが、どうもはっきり分かりません。とはいえ、他の大和言葉における「しろ」とは、例えば「よりしろ」とか「なえしろ」がありますが、おそらくは土を掘ったり盛ったりして作るものであり、多分に象徴性を持っているものを指すのかな、と思っています。

 

 

 

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(これは浜松城で、 2014/07/06に撮りました。今でも日本の各地に残っている多くの城跡では天守閣を再現したがりますが、個人的にはあんまりオススメしません。城跡に何らかの価値があるとすれば、あくまでも規模とか位置とか配置そして遺構においてである、と私は思うから。更に言えば、そもそも天守閣が存在していなかった城跡に鉄筋コンクリートで無理やり天守閣を建ててしまうなんて、歴史にも地域にも建築にも冒涜だと思う。)

 

 

 

ところで。いま京都と呼ばれている都市は、平安京の都という意味ですが。どうして唐の長安を模倣して平安京を建都した時に、門だけ建てておきながら城壁は築かれなかったのだろうか思います。そもそも都市を囲む城壁が存在しないのに、わざわざ門だけ建てることにどういう意味があったのか、私にはよく分からない。

 

とはいえ日本国内の都市は、大陸の都市と違って異民族による侵略や略奪とか破壊を、現実にありうることと考えて対処し防衛していないから。必要性が少なくて、しかも予算が限られていると、とりあえず計画だけはあっても現実に都市全体を城壁で囲むことはやらないのかな、とも思います。

平安京 - Wikipedia