2/12に、湯河原町の幕山へ登りました。

まさひとです。こんにちは。

 

 

 

 

最近、私の周りでは何かとトラブルが続いています。何故だろう?鍵のトラブルがあり、シャッターのトラブルがありました。3/8にも、どかんと物を壊してしまって。体調があんまり冴えない点も含めて、うまくいかないことが続きます。

 

シャッターのトラブルは、原因としては駆動させる部分の近くに鳥が巣をつくっていまして。その、元々は鳥の巣だったものがぐずぐずになって、シャッターの駆動をさせる部分に巻きついて駄目にさせたようだ、と聞きましたが。

 

まあ、仕方ないです。こういう時期もある。やれやれ。

 

 

 

 

さて。2/12に私は所属会の先輩たち6人と、湯河原町にある幕山(まくやま 626m)から南郷山(なんごうさん 610m)を登りました。ひどく寒くて、風が強かった。

 

梅の宴を開催中に行くのだから入園料がかかりますし、混雑もするでしょう。幕山公園などの駐車場がどの程度まで使えるのかも分かりません。けれど、わざわざ湯河原町の幕山まで行くのなら、やっぱり一番印象が強い時期に行く方が良いんじゃないか、と相談がまとまりました。

 

梅の宴を開催中は、JR湯河原駅から会場までのシャトルバスが出ます。このシャトルバスの第1便へ間に合うように、8時半を目安としてみんな湯河原駅へ集合です。静岡県内のあちこちから、それぞれに電車で移動しています。

 

 

 

 

当日のGPS記録はこちらです。

幕山〜南郷山〜五郎神社(湯河原町) - 2018年02月12日 [登山・山行記録] - ヤマレコ

 

一緒に登った先輩は、もうずっと前にブログをアップしています。

静岡の山と渓 湯河原 幕山

 

湯河原町のHPもリンクを貼っておきます。

湯河原町 | 湯けむりと笑顔あふれる四季彩のまち湯河原

 

 

 

 

では、写真を見て行きましょう。

 

 

 

 

JR湯河原駅です。土肥実平公の銅像がありました。私たちは8時半よりちょっと前に着きましたが、もうシャトルバスの順番を待って行列が出来ています。

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シャトルバスの第1便へ私たちは、幸運にも全員乗ることが出来ました。幕山公園へ入ると、目の前に幕山がそびえています。

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公園の入り口には「1分咲き」とありましたが、もう少し咲いていたように感じました。まだまだ満開には程遠いけれど、これはこれで素敵ではないかな。

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赤い花は遠くからでも、けっこう分かります。

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白い花って、遠くからはなかなか分からないですね。

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ロッククライミングをしているひとも、あちこちにいました。

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幕山を登っていくと相模湾が見えてきます。手前に小さく初島が、その奥には伊豆大島が見えます。

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広葉樹の森が綺麗でした。ここ幕山は梅で有名なのですが、春の新緑や秋の紅葉の時期に登っても、きっと綺麗で素敵でしょう。

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幕山の頂上へ着きました。冷たい風が強くて、あんまり落ち着いて休憩する環境ではなかったです。体感温度は0度くらい。

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幕山の頂上から下り始めると、雪がばっちり残っていました。ここで転んだりしたくないです。

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自艦水です。源頼朝がここの水で自害しようとした、とか。

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林道の工事が行われていて、山の様子が変わっていました。このあたりでどこにルートがあるのか分からなくなって、私と4人は来た道を戻っています。本来の登山ルートを見付けた時はホッとしました。

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南郷山の頂上に着きました。海側の眺望が素敵です。幕山は登ってくるひとが多いのですが、こちらの南郷山は静かです。

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南郷山の頂上から、山の側を見ています。十国峠とか岩戸山などが見えました。

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頂上から少し下ると、真鶴半島がばっちり見えました。標高は特に高くないけれど、そのわりに眺めが良いです。

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あとはルートに従って、ゴルフ場の脇を通って、ずっとずっと下っていきます。下って行くと、舗装された農作業の道になりました。みかんの木を見るとどうしても静岡を思います。

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最後に五郎神社へお参りします。神社の前にあるバス停ですが、14時半に出発するというバスがたまたま停まっていたので、急いで乗って湯河原駅まで移動しました。

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湯河原駅に戻ったところで、私たちは解散しています。私はMさんと、熱海駅前温泉へ寄り道しました。古くてディープな温泉が好きな人だったら、熱海駅前温泉はオススメです。

 

 

 

 

以下は感想です。

 

 

 

 

湯河原町そのものも、今回のルートにあった自艦水も、源頼朝に縁があります。という訳で幕山へ登ってから、源頼朝のあれこれを調べたり考えたりしました。

源頼朝 - Wikipedia

 

とはいえ、ここに上手く書くほどの知見が私にある訳じゃないので。とりあえず幾つかの思いついたことを箇条書きにしておきます。また、続くかもしれないし、続かないかもしれないし、どうでしょうか。

 

 

 

 

①本来なら源頼朝は、平治の乱で捕えられて処刑されるはずだったけれど。池禅尼(いけのぜんに)が助命嘆願をしたこともあり、処刑されず流罪と決まっています。

 

池禅尼は、平清盛の父の忠盛の後妻ですが。当時まだ14歳だった源頼朝が、若くして死んだ自分の息子と容貌が似ていると知って、平清盛に強く繰り返し助命嘆願をしたとあります。

 

さて。この展開を私は偶然だとは思えないのです。池禅尼は、いったいどういう訳で、どこの誰からどういう話を聞いて、源頼朝が若くして死んだ自分の息子と容貌が似ていると知って、助命嘆願したのでしょうか。禅尼が自分自身で調べて考えて行動したとは、ちょっと考えづらいから。逆に言うなら。池禅尼にこういう情報を伝えたのは、いったいどこの誰で、どういう意図によるのでしょう。

 

 

 

 

②そんなこんなで源頼朝は、罪一等を減ぜられ流罪になった訳ですが。当時の平家の政権で中心にいた人たちが、流罪の場所として決まった伊豆の国に属する蛭ヶ小島について、どう認識していたのかなと思います。

 

本来なら流罪とは、佐渡島とか隠岐島とか、本土とはそれなりに離れた島へ流されるものであって。直接に処刑はしないけれど、政治的には死んだのと同じだから処罰の意味や効果があるのだ、と私は理解しています。

 

だったら。「伊豆の国に属する蛭ヶ小島へ流罪になりました」と報告された平家の政権で中心にいた人たちは、何となく伊豆大島みたいなところをイメージしたはずだと。どういう島なのか正確に知っていてここに決めたとは、少なくとも私にはとても思えないです。誰が、どういう意図で、源頼朝の行き先を蛭ヶ小島に決めたのだろうか、と思います。

 

 

 

 

石橋山の戦いに敗れたあと源頼朝湯河原町の、しとどの窟に隠れていた時ですが。隠れていることを見抜きながらも梶原景時は、源頼朝を見逃してやったとあります。

 

梶原景時が見逃したという話は、源平盛衰記に載っていますが。石橋山の戦いの後で、源頼朝を捕えるために動員された武士たちのなかに、まだ源頼朝が自害せずどこかで生きていたら何とか助けてやりたいものだ、とひそかに考えていたのは、梶原景時に限らず実はわりといたのかなと思います。

 

石橋山の戦いに敗れてから源頼朝は、よくもまあ自害もしなかったし、脱出できたものだと思いますが。梶原景時に限らず、源頼朝を捕える側に動員された武士たちからも、実はたびたび助けられていたのではないか、と思います。

 

 

 

 

他にも、あれこれと思う事はありますが。いったんここで打ち切ってアップします。 

1/7に、鯨ヶ池から賤機山を経て浅間神社まで。

まさひとです。こんにちは。

 

 

 

 

1月後半も、2月も、ずっと寒いです。1/22に通過した南岸低気圧は、東京の都心とか関東の南部にもたくさんの雪を降らせました。首都圏は雪が積もると、とたんに障害が大きいですね。まあ、色々な意味で余裕が無いから、仕方ないのかな。

 

また2/1にも、南岸低気圧が通過していて。こちらは静岡県内でも山だけではなく、平野にちかいところまで雪が降りました。いつかまた、雪が積もっている竜爪山へ山登りに行ってみたいですが、そんなチャンスがあるのかどうか。

 

そして福井県では2/4ぐらいから、大雪が降りました。この状況では、早く自衛隊災害派遣を要請した方が良いんじゃないかと思っていましたが。少しずつ状況が改善しているみたいで、ホッとしました。

 

でも、たぶん、また寒波が来るのだろうなあ。あんまり酷い被害が起きないと良いけれど。

 

 

 

 

さて。2018年の1/7ですが私は所属会の先輩たち8人と、静岡市内にある賤機山へ登りました。鯨ヶ池から登って縦走して、浅間神社に下りました。最後に浅間神社へお参りして、解散しています。

 

この時期の私は、どうにも風邪が治りきっていなくて。喉が痛くて声が変で、微熱がありました。とはいえ山登りには行きたいし、計画も進んでいました。だから、ここ賤機山だったら標高も低いしルートもいっぱいあるから、まだ何とかなるだろうと、無理そうだったら私ひとりだけ途中からでも安全に下って帰ることも出来るだろうと、そう考えました。

 

 

 

 

当日のGPS記録はこちらです。

鯨ヶ池から賤機山を経て、浅間神社に初詣で。 - 2018年01月07日 [登山・山行記録] - ヤマレコ

 

一緒に登った先輩は、ずっと前にブログをアップしています。

静岡の山と渓 今年の初歩きは 賤機山

 

2015年の1/3にも、ここを縦走しています。

1/3に、鯨ヶ池から賤機山を経て浅間神社まで縦走しました。 - まさひとのぶろぐ masahito0989's blog

 

 

 

 

では、写真を見て行きましょう。

 

 

 

 

当日は新静岡セノバのバスターミナルへ、7:15とかそのくらいに私を含む8人が集合です。7:30発のバス(安倍線の横沢行き119番)に乗って、桜峠入口で下車しました。8人はここ桜峠入口からスタートです。賤機山を縦走して、浅間神社まで向かいます。

 

あと1人は、静岡市街で朝まで仕事をしていまして。朝に仕事を終えてから、浅間神社の側から登っています。途中で私たちと合流したら、また、そこから浅間神社まで戻っています。

 

 

桜峠入口バス停です。今はこの上を新東名が通過しています。鯨ヶ池の脇を抜けて、桜峠まで向かいます。こんなに寒いのに、鯨ヶ池では釣りをしているひとがいっぱいでした。

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すぐに桜峠へ到着しました。ひょっとしたらこの辺りの登山道を整備するかも、と思って道具も持ってきましたが、全く問題ありませんでした。峠から稜線に向かっています。

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福成神社に到着です。風邪が治りきっていなくて、色々と不安でしたが。ここまでは何とか来ました。

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この辺りの茶畑は、ちゃんと手が入っていますが。時々は放棄された茶畑もあります。野生化したお茶の木は、ルートを整備する時に最も手を焼く物のひとつです。

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遠くから目印になっている貯水タンクまで到着です。この辺りで私は喉が痛くて声が変で、もうへとへとでした。

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体調は冴えないですが、まだまだ先は長いです。

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林道の記念碑とトイレがあるところで、また休憩です。とても変わった花というか実を付けている木がありました。

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自分で企画したけれど、他のかたがたに付いて行くだけで、いっぱいいっぱいでした。まあ、仕方ないです。こういう時もある。

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林道に近いところにある茶畑は、比較的綺麗に手が入っている気がします。私も身内のお茶摘み&お茶刈りを手伝ったことは何回かあるけれど、現代は機械があるとはいえ、それでもけっこうな重労働だから。林道から遠いと茶畑の管理は、ハードルが高いのでしょう。

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標高は低いけれど、眺めのいいところです。安倍川の両側に並んでいる山々です。

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三本杉を通過したところで、Aさんと合流しました。Aさんは静岡市街で朝まで仕事して終わり次第、浅間神社の側から登ってきています。

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畑の間を抜けていきます。こんな場所なのに畑がある。

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賤機山城跡に着きました。土塁や空堀とか曲輪が残っています。しかしここで水を人数分、本当に確保なんて出来たのか?私には疑問です。

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静岡市中心市街地が目の前です。

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慰霊碑まで来ました。先の大戦における静岡大空襲の犠牲者を慰霊するものです。

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慰霊碑を過ぎるあたりから、一般の人たちが多くなります。

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今回はいつもの大きい階段へ進まないで、稜線を最後まで進みます。尾根の先端には賤機山古墳があります。

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最後に浅間神社へお参りして、私たちは解散しました。何とか歩き通せて良かった。

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以下は感想です。

 

 

 

 

前回のブログ記事でも書きましたが。戦前までのこの国で、水を安定的に確保しようと考えるのなら山の近くにある谷の周りが、一番適しています。ある程度の規模の谷があれば、だいたい沢には水が流れていますから。

 

残念ながら水が安定的に確保できないところでは、ひとは決して安定した生活ができません。だから谷には、静岡県内の東海道沿いだったら田ヶ谷に西ヶ谷で宇津ノ谷とか、時ヶ谷に谷稲葉で阿知ヶ谷に向谷と、それぞれに名前がある訳です。それぞれの谷にはひとの歴史と、維持管理する営みがあり、だから谷ごとに名前があります。

 

 

 

私は静岡県内だけしか生活したことが無いので、他の都道府県の事情は詳しくないのですが。例えば都内にも、渋谷や日比谷とか千駄ヶ谷に谷中などなど「谷」が付いた地名がありますから。おそらくは全国どこでも事情は同じだと思います。

 

どうしても水が足りなくて、だから溜め池を作って生活してきた地方だったら、それぞれの溜め池に名前があり、また維持管理などの工夫と営みの物語もあるのでしょう。

 

 

 

ところで。静岡という名前は、明治2年明治4年における静岡藩の名前から来ています。賤機山のふもとという意味で、賤ヶ丘(しずがおか)、が予定されていましたが。字がよろしくないために、静岡(しずおか)と決まりました。

 

もともとここは駿河の国にある府中だから、駿府と呼ばれていました。甲斐の国にある府中だから甲府市だとか、周防の国にある府中だから防府市なんかと同じ意味ですね。

 

 

 

 

さて。ではどうして都市に新しい名前を考えた際に、「OOヶ谷」という名前ではなくて、結果として静岡という字に改まったとはいえ「OOヶ丘」という名前を選んだのだろうか、と私は不思議に思います。

 

もちろん現代の言葉の感覚だったら、「OOヶ丘」という名前を選んでもおかしくはないけれど。当時の言葉の感覚だったら「OOヶ丘」という名前には、「水が安定的に確保できなくて、だからひとが安定して生活できない土地」、というイメージがあったはずだと、無かったはずが無いと思うのです。

 

 

 

確かに静岡市の中心部は、賤機山のふもとにあります。間違いなく。

 

でも、どうして、賤ヶ丘という名前をわざわざ選ぼうとしたのかな?丘という言葉には、水に恵まれていない貧しい土地、というイメージが強かったはずなのに。不思議です。