1/7に、鯨ヶ池から賤機山を経て浅間神社まで。

まさひとです。こんにちは。

 

 

 

 

1月後半も、2月も、ずっと寒いです。1/22に通過した南岸低気圧は、東京の都心とか関東の南部にもたくさんの雪を降らせました。首都圏は雪が積もると、とたんに障害が大きいですね。まあ、色々な意味で余裕が無いから、仕方ないのかな。

 

また2/1にも、南岸低気圧が通過していて。こちらは静岡県内でも山だけではなく、平野にちかいところまで雪が降りました。いつかまた、雪が積もっている竜爪山へ山登りに行ってみたいですが、そんなチャンスがあるのかどうか。

 

そして福井県では2/4ぐらいから、大雪が降りました。この状況では、早く自衛隊災害派遣を要請した方が良いんじゃないかと思っていましたが。少しずつ状況が改善しているみたいで、ホッとしました。

 

でも、たぶん、また寒波が来るのだろうなあ。あんまり酷い被害が起きないと良いけれど。

 

 

 

 

さて。2018年の1/7ですが私は所属会の先輩たち8人と、静岡市内にある賤機山へ登りました。鯨ヶ池から登って縦走して、浅間神社に下りました。最後に浅間神社へお参りして、解散しています。

 

この時期の私は、どうにも風邪が治りきっていなくて。喉が痛くて声が変で、微熱がありました。とはいえ山登りには行きたいし、計画も進んでいました。だから、ここ賤機山だったら標高も低いしルートもいっぱいあるから、まだ何とかなるだろうと、無理そうだったら私ひとりだけ途中からでも安全に下って帰ることも出来るだろうと、そう考えました。

 

 

 

 

当日のGPS記録はこちらです。

鯨ヶ池から賤機山を経て、浅間神社に初詣で。 - 2018年01月07日 [登山・山行記録] - ヤマレコ

 

一緒に登った先輩は、ずっと前にブログをアップしています。

静岡の山と渓 今年の初歩きは 賤機山

 

2015年の1/3にも、ここを縦走しています。

1/3に、鯨ヶ池から賤機山を経て浅間神社まで縦走しました。 - まさひとのぶろぐ masahito0989's blog

 

 

 

 

では、写真を見て行きましょう。

 

 

 

 

当日は新静岡セノバのバスターミナルへ、7:15とかそのくらいに私を含む8人が集合です。7:30発のバス(安倍線の横沢行き119番)に乗って、桜峠入口で下車しました。8人はここ桜峠入口からスタートです。賤機山を縦走して、浅間神社まで向かいます。

 

あと1人は、静岡市街で朝まで仕事をしていまして。朝に仕事を終えてから、浅間神社の側から登っています。途中で私たちと合流したら、また、そこから浅間神社まで戻っています。

 

 

桜峠入口バス停です。今はこの上を新東名が通過しています。鯨ヶ池の脇を抜けて、桜峠まで向かいます。こんなに寒いのに、鯨ヶ池では釣りをしているひとがいっぱいでした。

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すぐに桜峠へ到着しました。ひょっとしたらこの辺りの登山道を整備するかも、と思って道具も持ってきましたが、全く問題ありませんでした。峠から稜線に向かっています。

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福成神社に到着です。風邪が治りきっていなくて、色々と不安でしたが。ここまでは何とか来ました。

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この辺りの茶畑は、ちゃんと手が入っていますが。時々は放棄された茶畑もあります。野生化したお茶の木は、ルートを整備する時に最も手を焼く物のひとつです。

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遠くから目印になっている貯水タンクまで到着です。この辺りで私は喉が痛くて声が変で、もうへとへとでした。

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体調は冴えないですが、まだまだ先は長いです。

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林道の記念碑とトイレがあるところで、また休憩です。とても変わった花というか実を付けている木がありました。

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自分で企画したけれど、他のかたがたに付いて行くだけで、いっぱいいっぱいでした。まあ、仕方ないです。こういう時もある。

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林道に近いところにある茶畑は、比較的綺麗に手が入っている気がします。私も身内のお茶摘み&お茶刈りを手伝ったことは何回かあるけれど、現代は機械があるとはいえ、それでもけっこうな重労働だから。林道から遠いと茶畑の管理は、ハードルが高いのでしょう。

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標高は低いけれど、眺めのいいところです。安倍川の両側に並んでいる山々です。

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三本杉を通過したところで、Aさんと合流しました。Aさんは静岡市街で朝まで仕事して終わり次第、浅間神社の側から登ってきています。

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畑の間を抜けていきます。こんな場所なのに畑がある。

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賤機山城跡に着きました。土塁や空堀とか曲輪が残っています。しかしここで水を人数分、本当に確保なんて出来たのか?私には疑問です。

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静岡市中心市街地が目の前です。

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慰霊碑まで来ました。先の大戦における静岡大空襲の犠牲者を慰霊するものです。

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慰霊碑を過ぎるあたりから、一般の人たちが多くなります。

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今回はいつもの大きい階段へ進まないで、稜線を最後まで進みます。尾根の先端には賤機山古墳があります。

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最後に浅間神社へお参りして、私たちは解散しました。何とか歩き通せて良かった。

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以下は感想です。

 

 

 

 

前回のブログ記事でも書きましたが。戦前までのこの国で、水を安定的に確保しようと考えるのなら山の近くにある谷の周りが、一番適しています。ある程度の規模の谷があれば、だいたい沢には水が流れていますから。

 

残念ながら水が安定的に確保できないところでは、ひとは決して安定した生活ができません。だから谷には、静岡県内の東海道沿いだったら田ヶ谷に西ヶ谷で宇津ノ谷とか、時ヶ谷に谷稲葉で阿知ヶ谷に向谷と、それぞれに名前がある訳です。それぞれの谷にはひとの歴史と、維持管理する営みがあり、だから谷ごとに名前があります。

 

 

 

私は静岡県内だけしか生活したことが無いので、他の都道府県の事情は詳しくないのですが。例えば都内にも、渋谷や日比谷とか千駄ヶ谷に谷中などなど「谷」が付いた地名がありますから。おそらくは全国どこでも事情は同じだと思います。

 

どうしても水が足りなくて、だから溜め池を作って生活してきた地方だったら、それぞれの溜め池に名前があり、また維持管理などの工夫と営みの物語もあるのでしょう。

 

 

 

ところで。静岡という名前は、明治2年明治4年における静岡藩の名前から来ています。賤機山のふもとという意味で、賤ヶ丘(しずがおか)、が予定されていましたが。字がよろしくないために、静岡(しずおか)と決まりました。

 

もともとここは駿河の国にある府中だから、駿府と呼ばれていました。甲斐の国にある府中だから甲府市だとか、周防の国にある府中だから防府市なんかと同じ意味ですね。

 

 

 

 

さて。ではどうして都市に新しい名前を考えた際に、「OOヶ谷」という名前ではなくて、結果として静岡という字に改まったとはいえ「OOヶ丘」という名前を選んだのだろうか、と私は不思議に思います。

 

もちろん現代の言葉の感覚だったら、「OOヶ丘」という名前を選んでもおかしくはないけれど。当時の言葉の感覚だったら「OOヶ丘」という名前には、「水が安定的に確保できなくて、だからひとが安定して生活できない土地」、というイメージがあったはずだと、無かったはずが無いと思うのです。

 

 

 

確かに静岡市の中心部は、賤機山のふもとにあります。間違いなく。

 

でも、どうして、賤ヶ丘という名前をわざわざ選ぼうとしたのかな?丘という言葉には、水に恵まれていない貧しい土地、というイメージが強かったはずなのに。不思議です。