安東量子著作の「海を撃つ」を読みました。

まさひとです。こんにちは。

 

 

 


5月というのに、すっごく暑いです。今日は26日ですが、全国的に真夏日です。屋外で活動されるかたがたには、どうか無理しないで欲しいと思います。

 

昔とは違うんだから。私は高校野球の本大会を、名前は甲子園のままでも良いから、ドームの、冷房がきいた中でやる方が良いと思いますし。もっと言えばあらゆる学校の教室だけではなく、体育館も冷房がきく方が良いと思います。昔とは違うんだから。

 

 

 

 

さて、安東量子(あんどうりょうこ)著作の「海を撃つ」みすづ書房、を読みました。なかなかに名作、であります。

 

震災と原発事故について、もう8年間が過ぎようとしていますが。どうにも私にはこの国における文学が、震災と原発事故に対して、健全に対応していない&出来ていないというか、まるで磁石のように反発してばかりで終わっている気がするのです。

 

そんななかで本書は、ひとつの目印と言うか一里塚というか、文学でもここまで出来ると言う記念碑みたいな位置づけが出来るんじゃないか、と私は思います。

 

 

 

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最初に。みすづ書房による出版の、公式リンクを貼っておきます。

 

 

www.msz.co.jp

 

 

 

以下、このリンク先から本書の内容を引用しました。

 

 

 

 

 

1976年生まれの著者は、植木屋を営む夫と独立開業の地を求めて福島県いわき市の山間部に移り住む。震災と原発事故直後、分断と喪失の中で、現状把握と回復を模索する。


放射線の勉強会や放射線量の測定を続けるうちに、国際放射線防護委員会(ICRP)の声明に出会う。


著者はこう思う。「自分でも驚くくらいに感情を動かされた。そして、初めて気づいた。これが、私がいちばん欲しいと願っていた言葉なんだ、と。『我々の思いは、彼らと共にある』という簡潔な文言は、我々はあなたたちの存在を忘れていない、と明確に伝えているように思えた。」

 

 


以後、地元の有志と活動を始め、SNSやメディア、国内外の場で発信し、対話集会の運営に参画してきた。「原子力災害後の人と土地の回復とは何か」を摑むために。


事故に対する関心の退潮は著しい。復興・帰還は進んでいるが、「状況はコントロールされている」という宣言が覆い隠す、避難している人びと、被災地に住まう人びとの葛藤と苦境を、私たちは知らない。


地震津波、それに続いた原発事故は巨大であり、全体を語りうる人はどこにもいない。代弁もできない。ここにあるのは、いわき市の山間に暮らすひとりの女性の幻視的なまなざしがとらえた、事故後7年半の福島に走る亀裂と断層の記録である。

 

 

 

 

 

 

安東さんの発信は膨大にあるけれど、本書へ関心を持ったかた向けにリンクを貼っておきます。

 

安東さん自身による、福島のエートスの説明

安東量子さんによる「『福島のエートス』とは」 - Togetter

 

福島のエートスの公式ページ

ETHOS IN FUKUSHIMA


 

 

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次に。自分自身が本書を読んでみた感想を、4点挙げてみます。

 

 

 

 

①「安東さんが書いたものだなあ」

 

 

 

 

本書は第一に、災害の記録でありますが。同時に本書は、文学的と表現するのが本当のところ妥当なのか私にはよく分かりませんが、とにかく著者である安東量子さん自身の物語でもあります。

 

震災の被害と、それに続く原発事故は、広い範囲の地域と人々へ複層的に影響していった訳ですが。安東さんが福島県いわき市で生活しながら、見聞きしたことや、調べたり考えたりしたことをまとめたら、本書が出来たのだなと思いました。

 

 

 

 

安東さんは、これまでにたくさんの文章を読んでいて、また、いろいろ調べたり考えたりするひとだから。本書は、わざと、ねらって、こういうふうに書いた訳じゃ無くて。安東さんが書いたから結果としてこのように詩的かつ哲学的で、科学の比重も大きいのですが暗示的というか文学的な作品になったのでしょう。

 

また安東さんは故郷の広島市について、中心の中心には大きな木が無いんだなと思うところとか。逆に東京の都心でも戦火を免れたところには、古くて大きな木があるんだなと思うところなど。そういう視点を持っているところなんて、安東さんが現職の植木屋さんだからかな、とおもいます。

 

 

 

 

②「知ることと、考えること」

 

 

 

 

本書には、科学というかサイエンスの用語がたくさん登場します。震災のあとに福島県では原発事故と、さらには放射性物質の飛散がありましたから。ベクレルやシーベルトとか、半減期など。

 

震災から、もう、8年が過ぎましたが。いまでも放射線防護の考え方や用語とか、示される数値の量の概念が間違ったままというニュースや解説は、決して少なくありません。

 

 

 

 

「そのニュースは、どこの点が平常とは違うのですか?どの程度の違いが起きて、どの程度に問題なのですか?」と感じることがあります。

 

たぶん報道している側の中にも、内容を理解できないまま報道しているひとは多いのだ、と私は理解しています。

 

 

 

 

一般に、大新聞やテレビといったメディアの中で仕事しているひとだったら、まずまず知的かつ誠実なひとだと思われがちですが。現実には、そんな知的でも誠実でもないよねって思います。

 

自分自身が、報道している内容を理解するだけの知識と認識を更新していないなんて、いくらメディアの中にいても、知的とは言わないよなと思いますし。もっと言えば、理解しているにも構わずに、間違ったことや偏ったことを報道してしまうなんて、決して誠実ではないと思います。

 

 

 

 

逆に。安東さんだけではなく、急に当事者となってしまった現地のかたがたは、巨大な苦労をして生活や仕事の再建にあたっているわけですが。それぞれの分野の専門家に協力してもらうとしても、再建を実際に進める当事者のいとなみは、知的であり、さらに言えば誠実だと思います。

 

自然は巨大なちからを振るっていても、何かを考えたりしない。人間は自分が死ぬことを知っていて、人間のちからは自然のちからにおよばないことを知っている。知ることと、さらには考えることは、人間にしかできない。だからもし人間にだけ何かの価値というか素晴らしい点があるのなら、それは「知ることと、さらには考えること」の中にある、と私は思います。

 

 

 

 

③「地域の、ひとの、分断と喪失と、そして復興と」

 

 

 

 

科学の面で、放射線の数値は生活に問題はまずまず無いところまで下がったとしても。震災と原発事故が起こるまで住んでいた地域に、ではこれからも住むのかどうかは、また別の話であって。

 

福島県の県内であれ県外であれ、移住するひとが続くと。その地域が、地域として維持できなくて、だんだんと壊れて消えていくのです。

 

 

 

 

まあ、もちろん科学は、あくまでも科学であって。結果としてそれぞれの地域にこれからも住むのかどうかは、他にも勘案しなくちゃいけない要素が多いから、科学が何もかもを決める訳じゃないのです。 

 

時に私は思いますが。生きるとか死ぬとか表現する主体は、もちろんこの現代では個々の人間で当然なのですが。ずっと昔から、その主体は、どちらかというと個々の人間と言うよりもむしろ村だったり地域だったりしていた訳で。では、果たしてこの先もずっと、生きるとか死ぬとか表現する主体が、個々の人間であり続けるのだろうかと、そんな疑問を感じます。

 

 

 

 

「海を撃つ」という、この奇妙なタイトルを目にした時に、これはいったい何なのかと私は思いましたが。本作の最後の最後に会話の中で、まだ幼い男の子が海を撃つ真似をしている、というくだりがあります。

 

 この、海を撃つ真似をしている幼い男の子は、いま分断されて喪失された地域が、はるかな未来に再建されて復興するところを見るのだろうか、そうであって欲しいなと私は思いますし。まあ、でも難しい話はとりあえず置いておいて、この子が健全に幸せに育ってくれたなら、地域の再建なんかよりもずっと価値があるのかな、とも思います。

 

 

 

 

④そして、どうしても指摘しておくのですが、本書では「書かれていない面も大きい」。

 

 

 

 

なかでも安東さん個人と、「福島のエートス」という活動が受けてきた理不尽なバッシング(というよりも脅迫と呼ぶべきではないか)について、本書はごく限定してサラッと書かれていますが。非常にひどかった。本当に、本当にひどかった。 

 

安東さんは、あくまでも理性的に、抑制的に対処していたけれど。

 

 

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最後に。安東さんが感情を動かされたという、国際放射線防護委員会(ICRP)から2011年の3/21付けで出された声明のリンクと、声明の冒頭にあるメッセージを貼っておきます。

  

 

http://www.icrp.org/docs/Fukushima%20Nuclear%20Power%20Plant%20Accident.pdf

 

  

 

 

The International Commission on Radiological Protection (ICRP) does not normally comment on events in individual countries. However, we wish to express our deepest sympathy to those in Japan affected by the recent tragic events there. Our thoughts are with them.

 

 

 私訳(国際放射線防護委員会は、通常は、個々の国の出来ごとにコメントはしない。けれど、私たちは、先だって日本で起きた悲劇的な出来事のために影響を受けた日本の人たちへ、最も深い同情の意を表明したい。私たちの思いは、彼らとともにある。)

 

 

 

 

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(この写真は2012年の2/11に静岡県焼津市内で私が撮りました。とても穏やかな、まるで何事も無かったような、そんな表情の海です。)