まさひとです。こんにちは。
まず。このたび台風18号17号による集中豪雨で、栃木や茨木など東日本を中心に大きな被害が起きています。被害にあわれた皆様には謹んでお見舞いを申し上げるとともに、不幸にして無くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。たいへん心配です。
さて。8/12にも私は、下部温泉から毛無山まで山登りに出掛けていますが、仲間の間ではお盆の休みが終わってしまう前に、どこかもうひとつ山登りに行こうと意見が出ました。それで8/16に、静岡市街から車で2時間くらいでしょうか、県民の森から笹山(ささやま 1763m)まで縦走してみようと、直前に話が決まりました。
県民の森には、ちゃんとしたトイレや飲み物の自動販売機がありますから、女性も参加しやすいですし。笹山までの稜線歩きだったら、それほど大きな登り下りはありません。それに稜線のすぐ下側に林道も通っていますから、途中で何かアクシデントが起きてもちょっとだけ安全側です。また、今回は終わってから静岡市営の口坂本温泉へ寄り道しようという計画です。
県民の森のリンクを貼っておきます。
では、当日の写真を見ていきましょう。
県民の森は、明治9年(1876年)に静岡県が誕生してから百年目にあたる昭和51年を県政百年として、その記念事業のひとつとして整備されました。その範囲は大井川左岸に続く尾根の一帯で、南の勘行峰(かんぎょうみね)から北は山伏にいたる1000ヘクタールに及ぶ地域で、その一帯は大井自然公園に指定されています。多くの針葉樹と落葉樹に覆われていて、森林の美しさに恵まれています。
私たちは県民の森の一番南側にある駐車場に集合して、8時ぐらいにスタートしました。標高が1500m前後ありますから、暑くなくて、風が気持ち良いです。
静岡県内を中心に山登りを続けていると、もう仕方ない事とはいえ、山は人工的に植林されているところばっかりで、季節感も花も生き物の気配も何も感じられない場合が多いのですが。ここ県民の森から笹山までは広葉樹や自然林も多くて、何より森が大変に美しく、見ていて飽きないです。アツラ沢の頭を8:20に通過でした。
芝生の広場まで来ました。この下側に県民の森の管理棟やキャンプ場などがあります。私たちもいったんここでトイレ休憩です。
県民の森から笹山までは、ほぼ稜線を歩きます。途中で何箇所か、眺望もあります。この写真はさっきの芝生の広場から井川峠までの間ですが、東屋があり、東側の眺望がありました。左の奥に見える高い山が、たぶん十枚山だと思いますが、イマイチ山のシルエットが良く見えません。
熊を捕獲するための檻が残っています。
井川峠のすぐ南側にある1666m地点へと到着です。9:50ぐらいでした。このとき先頭は私でしたが、その私の50mほど前を、黒い大きな生き物が右側から左側へ、稜線を横切って藪の中へ駆けていきました。びっくりしました。熊か、カモシカか、とにかく四つ足で素早く動き、その体長は1メートルほどでした。おっかない。
直ぐに井川峠へ到着です。また動物が出てくるのではないかと思い、ドキドキでした。
いくつかの上り下りを繰り返して、稜線を北へと進みます。
この稜線は二重になっているところが続きます。登りではともかく、下りでは二重の稜線の方角に気を付けていないと、うっかり違う方角へ進んでしまいかねないのです。
すでに紅葉が始まっていました。
ようやく11:30に、私たちは笹山の頂上へ到着しました。思っていたよりも細かいアップダウンがあって、時間も体力もかかりました。天候もパッとしないですね。期待していたけれど、南アルプスも何も眺望はありませんでした。残念です。
頂上で相談して、私たちはここから更に北側の山伏へと続くルートから林道へ下りて、林道を歩いてスタートした県民の森まで戻ろうと決めました。天気は持ちこたえそうですし、もう、次に来る事は無いかも知れませんから、ちょっと欲張っています。そうと決まれば、長いルートですから、すぐに出発です。
頂上から山伏へ続くルートで、私たちは12:40ぐらいに林道まで下りてきました。頂上から林道までは私が先頭を歩きましたが、念のために地図とコンパスを見ながら進みました。そうしたら、このルートは確かに歩いている人が少なくて踏みあとも浅いけれど、ちゃんと一定の間隔でテープが巻いてありました。それで、このテープの間隔と巻き方が、私もたいへんお世話になっていてよく一緒に山登りをしている山登りの大先輩がいるのですが、その大先輩のやりかたに大変そっくりだったのでした。まさか本人がやったのかな、どうでしょうか。不思議なこともあります。
あとはひたすら林道を歩いて、県民の森にある車まで戻ります。今回一緒に行った大先輩が最後に車で迎えに来てくれて、いくらか楽をさせて貰いました。うむ。幹事として私が最初から、車を二か所に置いておくような計画をたてておくほうが、より安全側だったのかも知れません。
山登りを終えて私たちは、静岡市営の口坂本温泉へ寄り道して帰りました。この口坂本温泉に私は、前の道を通った事はあるけれど今までなかなか入るチャンスが無くて、ずっと行きたいなあって思っていまして。今回ようやく入る事ができました。営業時間が短いのはやむを得ないとしても、場所が中途半端で、ご縁が薄かったのでした。個人的には、たいへんに気に入りました。
以下は、今回の感想です。
この笹山にも、前回の毛無山と同じく鉱山がありました。 静岡市による「南アルプス学・概論」を見ていると、それなりの規模で金の採掘がおこなわれていたようです。
山登りをはじめて、私は山の人たちの生活や歴史にも興味が出てきました。山の中で行われていた農業および林業についても興味がありますが、前回の毛無山と今回の笹山という金の採掘の山へ行ったことで、鉱山にも興味が出てきました。
ここで、だぶ先生によるタイムリーな一連の呟きを載せておきます。
日本は、鉱量枯渇と貿易自由化で金属鉱山のほとんどをさっくりやめてしまったので、金属鉱業が環境に対し、いかに汚いかをみんな忘れてしまったのだろうと思う。それを外国に押し付けているので、自分が汚した環境が見えてこないのだろう。昭和30年代までは、ひどい話がいくらでもあった。
— 山猫 だぶ(育児中) (@fluor_doublet) 2015, 8月 12
カーバイド産業で忘れてはいけないのは、チッソ(現 JNC)です。もとは曾木電気という電気屋で、九州に豊富にあった石灰石と石炭、そして水力発電の電気から、炭化カルシウム(カーバイド)を作りました。このカーバイドから石灰窒素を作り、日本窒素肥料株式会社を設立します。それが明治末です。
— 山猫 だぶ(育児中) (@fluor_doublet) 2015, 8月 14
石灰窒素と水の反応によってアンモニアを、これを塩にして窒素肥料とし、大ヒットします。まだ、ハーバー・ボッシュ法の無いころの話です。大正に入ると、カザレー法を使ってアンモニアを作りはじめます。カーバイドはアセチレンをスタートとした化成品原料に使い出します。
— 山猫 だぶ(育児中) (@fluor_doublet) 2015, 8月 14
昭和一桁頃、朝鮮半島に電気化学の一大プラントを作り、朝鮮窒素肥料株式会社を作ります。アンモニアを酸化して硝酸とし、これからの爆薬など、時代にマッチした製品を作りつづけますが、終戦時に全部半島に置いてきてしまいます。その頃、盛んに今の北朝鮮に巨大な水力発電所を作りました。
— 山猫 だぶ(育児中) (@fluor_doublet) 2015, 8月 14
まぁ、それはいずれとして、九州の曾木水力発電所からの豊富な電気、不知火の石灰石、筑豊の石炭を使って産業を始めた電気屋さんの、山あり谷ありの「風雪の百年」なのです。チッソという会社は。
— 山猫 だぶ(育児中) (@fluor_doublet) 2015, 8月 14
そんな感じで、日本の旧財閥系の大きな会社は、鉱山などの地下資源からスタートしているところが多いです。特にメーカーさんはその色が強いですね。昔は、もうホントにどうしようもない悪行をしてたところもあります。
— 山猫 だぶ(育児中) (@fluor_doublet) 2015, 8月 14
それは横に置いといて、物質や材料の流れを追っていると、必要なものを時代に合わせて送り出すその技術は、調べていてやっぱり勉強になることが多い。単純なものからより複雑に。より安いものから高付加価値のものを作り出すスタンスに。
— 山猫 だぶ(育児中) (@fluor_doublet) 2015, 8月 14
鉱山とか、金属に限らなくて石油石炭とかヘリウムとかセメントとか諸々の資源の採掘についても、もう少し私は詳しくなりたいです。という訳で、とりあえず園部利彦先生の「日本の鉱山を巡る」を買ってみることにします。はい。